小牧市北外山(きた とやま)の城嶋稲荷周辺は、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いで織田・徳川連合軍だった本多忠勝、松平家忠らが守った砦跡です。小牧山城周辺には小牧・長久手の戦いで築かれた砦の跡が点在しています。この北外山砦もそのひとつです。ではどんな砦だったのかをチェックしてみましょう。
■北外山砦跡の住所■
小牧市北外山1209−1
北外山砦の位置
北外山砦は敵方・羽柴軍の二重堀砦と対峙する場所にあり、直線距離で約3kmほどしか離れていませんでした。小競り合いは両砦間であったのでしょう。
北外山砦の規模と詳細
現地案内看板には次のように記載してあります。
北外山砦は、天正十二年(1584)の小牧・長久手の合戦で、廃城となっていた織田與四郎の居城を利用して築かれた砦で、本田(本多)忠勝、松平家忠らが守った。
東西二十七間(約49m)、南北二十間(約36m)の広さで、四方には高さ一間(約1.8m)の土塁があったと伝わる。現在では『城島』、『城前』というこの辺りの小字名が城跡の名残をとどめている。
なお、ここにある『北外山城趾』の石碑は、ここから約50m北側の民家敷地内から移設したものである。
平成二十五年三月 小牧市教育委員会
ここでのポイントは城と砦の歴史があるということ。廃城になっていたものを合戦の時に砦としうて活用したということです。
稲荷社の手前に北外山城趾の石碑があります。小さいので分かりにくく、スルーしやすい石碑ですが、これもチェックしておきましょう。
以前は別の場所にあった!
案内看板にもあるように北外山砦跡の石碑は以前は別の場所にありました。私が知るかぎりでは2005年には現在地よりも北側の民家の敷地内にありました。現在は区画整理でこの民家はありません。
民家の敷地の中に土塁みたいなものがあって、その上に北外山砦趾の石碑が建っていました。この時はまさか移転するとは思ってもおらず、今となっては貴重な写真です。
私の感想
私の北外山城趾の感想ですが、遺構は残っていないものの、看板と石碑があるので城巡りの時に分かりやすいです。砦跡の所要時間は約数分なのでしょうけれど、これも貴重な小牧・長久手合戦の史跡だと思います。