長篠設楽原の戦いで徳川家康が本陣を置いた八剱山(高松山)

新城市竹広にある八剱神社(やつるぎじんじゃ)がある場所は、天正三年(1575)の長篠設楽原の戦いで徳川家康が本陣を置いた場所です。信長公記には高松山と記載されています。場所は新城市立東郷中学校のすぐ北です。

■八剱神社の住所■

新城市竹広172

>>八剱神社の地図

現地

信長公記には長篠設楽原の戦いの時、織田信長がこの高松山を訪れ指揮をとっています。ここから敵方の動きを見て、命令するまでは決して出撃しないように厳命したとあります。この八剱神社のすぐ東側が設楽原古戦場です。

神社入り口にある徳川家康本陣地の石碑。神社の奥はなだらかな傾斜になっており、そこに家康や信長がおり、設楽原の武田軍と対峙していたのでしょう。現在では陣跡の遺構みたいなものは残っていません。

さらに奥へと

神社の奥へ行くと家康本陣地の石碑がありました。なかなか見つけにくいです。

さらに設楽原をまもる会による家康物見塚の看板と側には石碑があります。ここから合戦の指揮を採ったのでしょうか。また信長公記には織田信長も高松山に来た記述があるので、ここから武田軍との戦いを見ていたのかもしれません。

ということで八剱神社(高松山)の所要時間は15分ほど。私の感想ですが、ここは馬防柵がある古戦場から歩いてめぐり、高低差などの地形や距離感を体感してみるのがオススメだと思いました。信長公記や合戦図屏風にも描かれていて有名な長篠古戦場ですが、実際の距離感など体感することで現地を楽しむことができると思います。

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