設楽町福田寺に残る武田信玄の墓と根羽村の信玄塚

織田信長も恐れていたといわれる戦国大名・武田信玄。彼は元亀三年(1572)10月に将軍・足利義昭の要請に応じ、上洛を開始します。

しかし翌年2月に三河野田城を攻め落とした時、体調が思わしくなく、甲斐に戻る途中で亡くなりました。

信玄は自分の死を3年間秘密にする様に遺言しており、亡くなった時の詳細が分からないのですが、愛知県東三河と長野県南部に武田信玄の墓といわれるものが2ヶ所あります。

今回はその武田信玄の墓といわれる場所と現地の様子をレビューしてみます。

福田寺

まずは愛知県設楽町にある福田寺(ふくだじ)です。

■住所 愛知県北設楽郡設楽町田口居立19

>>福田寺の地図

本堂の特に武田信玄公塚という小さな五輪塔があります。福田寺は武田氏が保護していた寺で、甲斐に帰る信玄が立ち寄り、療養していたのですが、ここで亡くなったそうです。

また野田戦記という資料や鳳来寺山に伝わる話、そして信玄の子孫の口伝も残っています。

福田寺にはなぜか馬場信房の墓といわれるものもあります。

福田寺からの景色。遠くまで見渡せます。また逆に言えば建物が無かった場合、遠くからでも福田寺が見えるということですね。

信玄塚

もうひとつは車で約50分ほどのところにある、長野県下伊那郡根羽村(ながのけん しもいなぐん ねばむら)の信玄塚です。

■住所 長野県下伊那郡根羽村横旗

>>信玄塚の地図

ここの地名は横畑(よこはた)といいます。ここは横旗ともいって、信玄が亡くなった時、風林火山の旗を横に倒したので横旗という地名が付きました。

武田信玄の供養塔といわれる五輪塔。寛文(1661~73)年間に建立されたもので、後の宝暦年間(1751~64)に隣に武田神社ができて祀られました。

ただこれは信玄塚ではなく武田神社で、信玄塚はこの武田神社の隣にある風林火山の壁画から少し下がった場所にあります。

夏だと草が生い茂っており、あまりオススメはできませんが、ともあれこの周辺が信玄最後の地だったということです。

これが国道沿いにある風林火山の壁画。さて、私の感想ですが、武田信玄の墓は甲斐(山梨県)にもあるので、どれが本当の墓かわかりません。(馬場信房も同じく)

しかし墓がたくさんできるということは、それだけ地元の人に慕われていたということでもありますね。

もし織田信長と対決していたら、どんな結果になったのか?これも歴史のIFですが、つい想像してしまいます。

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