愛知県海部(かいふ)郡蟹江町の尾張蟹江城址は、天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦における蟹江合戦で、羽柴秀吉に味方した滝川一益が入城するも、織田徳川連合軍によって落城した城です。
小牧長久手合戦は有名でも、蟹江城を取り巻く蟹江合戦はかなりマニアックなので、知っている方はすごいですね!また尾張の城で、滝川一益ゆかりの城は少ないので、一益ファンの方には必チェックしてほしい城跡です。ではそんな蟹江城址の様子を見てみましょう!
■蟹江城址公園の住所■
海部郡蟹江町城1丁目111
電車での蟹江城へ行き方
電車で蟹江城への行き方を説明します。電車でアクセスする場合、JR蟹江駅が蟹江城の最寄り駅です。駅からの所要時間は徒歩で10分ほど。
あと車でのアクセス方法ですが、蟹江城址公園を目指すと蟹江城址に着きます。ただ蟹江城には駐輪場はあっても駐車場はありません。車でアクセスする場合、蟹江城址公園近くの駐車可能な然るべき場所に車を止めて歩きましょう。
では城跡レビュー
かつての尾張蟹江城は、天正十三年(1585)の天正地震で壊滅してしまい、江戸時代にはすでに畑になっていた様です。現在、城の中心部は住宅地の中の城址公園になっています。
蟹江城址の巨大な石碑と簡単な案内看板。城の遺構は残っていなくても、こうして石碑が建っていると城巡りの目標になるので助かります。
蟹江城の遺構は残っていないと書きましたが、唯一当時を偲ぶことができるのが、この本丸井戸です。江戸時代の蟹江本町の古地図にも古井戸として記入があることから、ずっと存続していた井戸だということが分かります。
蟹江城跡公園の西を流れる蟹江川。もしかするとかつての蟹江城時代は、城の西側を守る天然の堀だったのでしょうか。今では静かな流れです。
蟹江合戦で生まれた郷土食!
蟹江合戦がキッカケで誕生した郷土料理があります。それが茶がゆです。蟹江城に籠城していた兵たちは敵の応戦に忙しく、ゆっくり食事もできませんでした。そこでひとりの兵が煮えた茶がまの中に米を入れると茶がゆができ、それが意外にも美味しかったのです。
戦後、その茶がゆがこの地に広まり郷土食になりました。現在では蟹江町観光交流センター祭人(さいと)で、この茶がゆを食べることができます。
■私の感想■
私の蟹江城址の感想ですが、あまり見るものは少ないのですが、ここは天正十二年(1584)年の小牧長久手合戦ゆかりの城址ということでチェックしておくことをオススメします。しかし所要時間は約15分もあれば十分に見ることができるので、近くの城址、戦国史跡とセットにするのが良いでしょう。例えば津島神社、または弥富市の鯏浦城(うぐいうらじょう)などですね。
あと蟹江城址公園の近くにある、蟹江町歴史民俗資料館には、蟹江城跡の散策地図とちょっとした戦国関連の展示物もあるので、ココもセットにしてみましょう。