愛知県清須市鍋片2丁目の鍋方公民館の隣りに、石垣作りのこんもりとした場所があります。実はこの場所はかつての清洲城の外堀近くの土塁(土居)跡です。
■清洲城の土塁(土居)跡の場所の住所
愛知県清須市鍋片2丁目
中に入ると清須城土居之趾(清洲城の土塁跡)という石碑が建っています。ここでいう土居とは土塁の事ですね。
この土塁はかつての清洲城の外堀に面していた土塁と思われるので、つまりここまで清洲城の城内だったということです。
現在の地図でこの土塁跡の場所を見てみると、清洲城天守がある清洲古城跡公園から直線距離で約1.2kmもあります。他の部分が気になりますが南はこの辺りまで清洲城だったという事です。
以前、愛知県や名古屋市の城跡を巡る会でこの清洲城の土居(土塁)跡も見学したのですが、その時に出た質問で印象的だったのが、『信長時代の土塁ですか?』ということ。清洲城といえば織田信長の居城ですからね。参加者の皆さんも気になっていた様です。
土塁はいつの時代のもの?
清洲城を含む清洲は、かつては尾張の首都でしたが、名古屋城が築かれると清洲城は廃城となり、慶長十五年(1610)に清洲の町もまるごと名古屋に引っ越しになりました。これが有名な清洲越しです。
それ以前、織田信長の次男・織田信雄により、天正十四年(1586)に大改修が行われていることから、この土塁は織田信雄が清洲城主だった頃の土塁ではないかという指摘があります。
分かりやすいアクセス方法
この清洲城の土居(土塁)跡への行き方ですが、分かりやすいアクセス方法があります。それは清須市鍋片2丁目の鍋方公民館を目指す事です。この鍋方公民館のとなりに清洲城の土居(土塁)跡があります。
私の感想
私の感想ですが、この清洲城の土居(土塁)跡は清洲城に行った時にセットで訪れるとかつての清洲城の規模を実感できると思いました。
あと現在の清洲城公園からこの土居(土塁)跡まで直線距離で約1.2kmもあるので、車があると比較的楽に訪れる事ができると思います。