愛知県清須市あたりの国道22号線を走っていると赤信号で停まりました。信号待ちの間、ふと信号名を見てみると、【古城】という信号名に気が付きます。清須市の城というと、清洲城が有名ですよね。でもこの古城の信号から清洲城までは、同じ清須市でもかなり距離があります。こんな場所までかつての清洲城だった?
いえいえ、そんな事はないでしょう…そこで調べて見ると、意外な戦国時代の事情が隠されていたのです!!まず結果から言うと、この古城信号の場所には、戦国時代に城がありました。でもそれは清洲城ではなく、小田井城(おたいじょう)という城だったのです!
小田井城とは
小田井城は応永年間(1349~1428)に尾張下四郡の守護代だった織田敏定によって築かれた城で、当主が清洲城に移ったため、その後は清洲城の支城という位置付けになりました。
その場所は現在の国道22号線の【古城】信号辺りにあったのですが、国道22号線を作る時に思いっきり小田井城跡に差し掛かり、仕方がなく、城址を潰して国道にしてしまいました。しかしかつての小田井城の痕跡を消滅させてしまうのは、あまりにも偲びないという事で、有志の方たちにより、近くの公園に小田井城の石碑を移設したのです。それが清須市西枇杷島町小田井2丁目7−2にある城跡公園です。
■小田井城跡公園の場所の住所■
清須市西枇杷島町小田井2丁目7−2
現在の小田井城址公園
現状は普通の公園ですが、小田井城址の石碑が公演の片隅に建っています。
どういう訳か石碑が2つ建立されていますが気にしないww。大切なことはこの古城公園が城跡ではなく、現在の国道22号線の【古城】信号辺りにかつての小田井城があり、国道22号線を作る時に小田井城の石碑を公園に移築したということです。
ちなみにかつての小田井城の遺構は残っていませんが、地図を見ると北から西にかけては新川が、そして東から南にかけては現在の庄内川が天然の堀の役割を果たし、自然の堀に守られた城だったという事が分かりますね。
私の感想
愛知県には約2,000を越える城跡として研究されているものがありまます。それらを研究するのが城郭研究という学問です。私の感想ですが、今回みたいに信号名から城跡を割り出す事は、比較的多い事だと思います。詳しく言うと、信号名(かつての字名)には、城跡の痕跡が残っているからです。
なぜそんなことが分かるかという理由ですが、私は愛知県内に存在した2,000を越える城跡をほぼ全て巡りました。そこで分かった事はたくさんあるのですが、そのひとつにかつての城跡を偲ばせる地名が字名になり、それが信号名になっているケースが少なからずあるという事です。
例えばあなたの住んでいる場所の住所や、日常生活で通る道路の信号名に次の様な名前がありませんか?
・城跡
・市場(城下町を示すもの)
・的場(鉄砲、弓の訓練場)
・矢場(鉄砲、弓の訓練場)
・掘前
・堀跡
・丸の内(曲輪の跡)
・魚町(城下の魚市場の址)
・材木町(木材の商いの場所)
など。
住所の字名、もしくは信号名には、かつてその土地の歴史が隠されているので、気になる地名を見つけたら、図書館などでその土地の市町村史を調べてみると、土地のゆかりが分かります。これもまた郷土史レベルの戦国の楽しみのひとつですね。