弥生時代の環濠集落(かんごうしゅうらく)を整備した朝日遺跡ミュージアムには、弥生時代の様子をよく分かるように表現したジオラマがあります。その中に弥生時代の環濠集落を攻める側と、守る側の様子を解説したジオラマが特に興味深かったのでレビューしてみたいと思います。(ちなみに写真撮影可でした)
施設内では多重防御施設(たじゅう ぼうぎょしせつ)として解説してあります。ちなみに環濠集落は初期の城として研究されています。つまりこの弥生時代の古代遺跡(環濠集落)は城跡です。同じ環濠集落である、佐賀県の吉野ケ里遺跡が日本100名城に認定されているのはそのためです。
バトル開始!
それでは城攻め開始!今回はせめて側から守る側という流れで見ていきましょう。
まずは攻め側。攻める人達に向けて尖った杭が突き出ています。これを乱杭(らんぐい)といいます。そのまま突進したら串刺しになりますね。
守る人達の前にも木が立っています。これは逆茂木(さかもぎ)といって、葉を落とした木の枝をバリケード代わりに使っているのです。これも突進してきたら体中トゲだらけです。
ちなみにこれらの逆茂木と乱杭は、朝日遺跡の発掘調査で出てきたものです。実際にあったものをジオラマで再現しています。
あと攻め手も守り側も盾を使っているのが意外でした。この盾も色付きの板が出土しており、それを表現したものです。そういえば甲冑みたいな体を防御するものは着てないな…
守り側の奥を見てみると、集落の前に堀と土塁があります。朝日遺跡ではこの堀も発掘調査に基づき再現してあります。
集落(本丸?)側では、守備兵たちの勝鬨(かちどき)みたいなシーンも。
そんな中、逃げ惑う女や子ども達もいました。
私の感想
私の感想ですが、城はやはり攻守の駆け引きが醍醐味なので、このジオラマは面白かったです。またジオラマの解説にもあるのですけど、弥生時代って今までノンビリしたイメージでしたが、発掘調査で分かった事は戦乱の時代でもあったということ。
理由は主に米や領地の奪い合いですが、それってすでに室町時代などの戦国時代と変わらんです。そう考えてみると、弥生時代くらいから、人々の争いってあったんだな~と思います。ともあれ、朝日遺跡の城攻めジオラマは、城好きの人は是非チェックしてみてください。