清須市の清洲山王宮は戦国時代に活躍した武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の逸話が残る神社です。現在では日吉神社になっており、申(さる)年には多くの参拝者で賑わいます。
■清洲山王宮の場所の住所■
清須市清洲2272
ではどんなエピソードが残っているのかをチェックしてみましょう!
織田信長のエピソード
織田信長は山王宮の神前で火起請(ひぎしょう)という裁判に立ち会いました。これは信長の一代記である信長公記(しんちょうこうき)に記載があるエピソードです。
まだ信長が22歳の時のこと。尾張の国海東郡大屋(かいとうぐんおおや:現在の愛知県稲沢市)の庄屋の家に夜盗が入り、揉め事が起こりました。
そこで山王宮の神前で裁判が行われていたのですが、この裁判も決着が付きません。そこに鷹狩りの信長が立ち寄り、双方の言い分をジッと聞きます。そして火起請という裁判が行われまたのです。
信長が熱した鉄を持ち運ぶことができたなら、容疑者を成敗するということになり、信長は赤くなるまで焼いた鉄を持ち運んで棚に置くことに成功しました。そして容疑者は処罰されたのです。
豊臣秀吉のエピソード
豊臣秀吉の母・なか(大政所:おおまんどころ)が妊娠した時、男子を授かることができるようにと清洲の山王宮にある子産石に参拝し、無事に男子を出産したといわれます。それが後の豊臣秀吉です。
この子産石が現在でも山王宮(日吉神社)にあり、子授かり、安産、夫婦和合の石として奉られています。
徳川家康のエピソード
天正十二年(1584)の小牧長久手の合戦の時、徳川家康は羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と戦うために織田信雄(信長の次男)の軍勢とともに清洲に野営したことがありました。その時、味方の軍兵が山王宮を焼き払ってしまったのです。
当時の祀官がこの事を申し出ると、徳川家康と織田信雄は軍兵が乱暴狼藉しないように制札を出しました。また合戦後に織田信雄によって神社の本殿、末社が造営されました。
そして境内
明治時代以降に社名を山王宮から日吉神社と改め現在に至ります。
境内の奥に進んでいくと狛犬があります…いや?!よく見ると狛猿ですね?
やはり狛犬ではなく狛申(狛猿)です。口元を見るとちゃんと阿吽になっています。
さらに境内には巨大な絵馬も!さるばっか…
こちらは清洲山王宮日吉神社の御朱印です。定番のものから限定の御朱印、そしてイラスト入りまでありますね。価格は300円~500円です。
私の感想
私の感想ですが、清洲山王宮は有名な戦国武将である、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康ゆかりの神社ということで、歴史好きの方にはオススメの神社だと思いました。
また公衆トイレもあるので、歴史ウォーキングや城巡りの時にセットで参拝しやすい神社だと思います。
清洲城からも約900mの距離なので、徒歩での所要時間は約15分。車での所要時間は約5分という近さです。