尾張正光寺砦は永禄三年(1560)の桶狭間合戦の時、今川方だった大高城の南にあった織田軍の砦跡です。
織田信長の一代記・信長公記(しんちょうこうき)に出てこない正光寺砦ですが、江戸時代の張州雑志という資料に大高村より東南五町ばかりにありという記述があります。
その正光寺砦跡と思われる場所が名古屋市緑区にあるので、現地へのアクセス方法のほか、詳細などを説明します。
ここが正光寺砦?!
私が注目したのは名古屋市緑区のJR大高駅南方にある正光寺の地名。正光寺峡、西正光寺、東正光寺という字名が残っています。
郷土史レベルのマイナーな城巡りをしている人はご存知だと思いますが、城跡や砦跡にゆかりの地名が残っているケースがあるのです。これを城郭関連地名と言います。
またこの場所は大高城から東南に約500mほどのところにあり、尾州雑志にある、大高村より東南五町ばかりにありという記述にも近いです。
※1丁=約109m
さらに行き方、アクセス方法ですが、場所は名古屋市立大高中学校、名古屋市立大高小学校の南で星煌学院 大高校(受験予備校)の西側。
JR大高駅から約1kmほどのところで、徒歩での所要時間は約15分くらいです。
そして現状
さて、そんな正光寺砦跡はどうなっているのかというと道路と住宅地。ただ西正光寺、東正光寺あたりは正光寺峡から見ると高台になっています。
現地には正光寺砦の石碑や案内看板といった説明板などはありませんでした。
私の感想
私の正光寺砦の場所の感想ですが、張州雑志の記述にある距離や現地での高低差など、今回説明した場所あたりに正光寺砦があったと思います。
この場所は正直、遠景のみなので大高城をはじめ周辺の砦とセットで巡ると、桶狭間合戦の史跡巡りの満足度も上がるでしょう。