永禄三年(1560)の桶狭間の戦いで、織田信長が力攻めで落とすことができなかった鳴海城は現在、公園と天神社として残っています。この記事ではアクセス方法から5つの見どころのポイントを解説しています。
電車と車での行き方
電車で鳴海城へアクセスする場合は名鉄 鳴海駅(めいてつ なるみえき)を目指します。諸王時間は西口からゆっくり歩いて約10分。車でアクセスする場合は鳴海駅周辺の有料駐車場に停めて散策しましょう。
かつて周辺は海でした
鳴海城の地形を見ると北、西、南はガクンと下がっていることがわかります。織田信長が落とすことができなかった理由のひとつがこの堅固な地形でしょう。
現代語訳 信長公記 (中川太古訳 新人物往来社)
現在でも鳴海城から南(名鉄鳴海駅方面)を見ると下がっています。
これは北西側から本丸のアングル。北西側も徐々に下がっており、本丸が高くなっています。
移転した成海神社
鳴海城址がある場所は、かつて成海神社がありました。応永年間(1394~1427)足利氏の武将・安原宗範が成海神社を北側600mの場所に移し、城を築いたのです。堅固な地形が築城の理由のひとつでしょう。ちなみに成海神社は現在でも存在します。
敵の善照寺砦とは地続きだった
織田信長は鳴海城を兵糧攻めにするために3つの砦を築きます。そのうちのひとつ善照寺砦は鳴海城と地続きでした。そのままではお互いすぐ攻められてしまうのでは?と思いがちですが、鳴海城と善照寺砦の間には大きな堀があったといわれています。
それが名古屋市立鳴海小学校の東にある道。地元で堀跡といわれています。自然地形なのか?どちらかの軍が掘ったのかわかりませんが、台地の地続きを分断し、お互いを牽制するという意味ではあり得る堀跡だと思います。
門の一部が移築されている
鳴海城の北にある東福院の山門は、かつて鳴海城の廃材の一部が使われています。
山門の梁(はり:門の両サイドにある柱の上に渡された、横向きの太い部材)が鳴海城の廃材といわれており、天正年間(1573~92)に移されたみたいです。この梁部分だけのようですが、これも貴重なものですね。
江戸時代に東海道が通った
鳴海城のふもとを江戸時代に東海道が通り、宿場ができました。それが東海道鳴海宿です。だから鳴海城址と周辺は城好きはもちろん、宿場巡りが好きの方、街道ウォーカーの方も楽しめるスポットです。
所要時間と私の感想
鳴海城の所要時間は東福院の山門も含めて20分ほどでした。私の感想ですが、鳴海城址は堅固な高低差がハッキリと体感でき、歩いて体感を楽しむことができる城跡だと思います。ここから丹下砦や善照寺砦もセットで散策するのがオススメです。