桶狭間合戦で落城した名古屋市緑区鷲津砦跡の散策レビューと感想

名古屋市緑区大高町の鷲津砦は桶狭間合戦での織田軍の砦です。中古日本治乱記によれば守将は織田秀敏と飯尾定宗・尚清父子。兵数は520騎という記載があります。朝比奈泰朝率いる2,000の軍勢に攻められ陥落しました。

>>鷲津砦の詳細 | ウィキペディア

>>鷲津砦の場所の地図

鷲津砦は桶狭間合戦直前のハイライトシーンに出る砦で、桶狭間合戦のストーリーには必ずといっていいほど出てきます。ではそんな鷲津砦の散策レビューです。

アクセスと駐車場

鷲津砦の行き方を説明します。まずは電車編。電車でアクセスする時はJR大高駅を目指します。ここから歩いて行けます。大高駅の東側から徒歩で数分です。

車でアクセスする時は大高駅周辺の駐車場に停めます。相場はこれくらいです。

そして公園

鷲津砦公園への入口は二ヶ所あります。それが山頂とふもとの入口です。私がオススメなのはふもとの入口。ここから山を登るように散策します。

 鷲津砦

 大高城の北東約七〇〇mの丘陵上に築かれた砦で、大高城の今川勢を牽制するために織田方によって永禄二年(1559)に造られた。
  
 丸根砦とともに大高城を頂点とするこの鷲津砦は、二等辺三角形の底辺の両端に位置している。また、大高と鳴海を結ぶ交通路を押さえる位置にあたり、規模は東西二五m、南北二七mあったという(寛文村々覚書:かんぶんむらむらおぼえがきによる)。
  
 永禄三年(1560)五月十九日、桶狭間の戦いの緒線には、飯尾定宗らが立てこもり、今川の重臣・朝比奈泰能(あさひな やすよし)の軍勢に攻め立てられて全滅したといわれる。
  
 現在砦跡の境は明確ではないが、『鷲津砦跡』の石碑が建てられている。大高城跡とともに昭和一三年に国の史跡に指定された。
 
 名古屋市教育委員会

現地案内看板の鷲津砦の指定史跡範囲の地図。鷲津砦公園の西入口から山頂を目指します。

もうひとつ現地地図。現在地から入り散策路を登り遊具広場がゴールです。

では中へ

早速中へ入ります。アスレチックの森の中みたいな感じで登るので、スニーカーなどの運動靴がよいです。

鷲津砦の堀跡といわれる遺構。土塁の向こうはガクッと下がっており長寿寺に向かってます。

そして石碑。山の中腹みたいな場所に建ってます。

鷲津砦はホントにここなのか?

鷲津砦の場所については現在、異論が出ています。その理由は山の中腹にあり、さらに背後は曲輪にできそうな削平地があるからです。実際に背後の住宅地には舌状で三方が崖の地形になっている場所もあります。明忠院裏山がその推定地です。鷲津砦の場所については今後議論されると思います。

私の感想

これは鷲津砦から丸根砦に行くときに撮った遠景写真。私の鷲津砦の感想ですが、詳細な場所に異論はあるものの、丸根砦大高城との距離感を見るとすぐそこなので、セットで巡ると桶狭間合戦の臨場感を楽しめると思いました。

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