桶狭間合戦後に今川義元の首実検を行った名古屋市緑区長福寺

名古屋市緑区桶狭間の長福寺(ちょうふくじ)は、永禄三年(1560)の桶狭間合戦後、織田信長が討ち取った今川義元の首を本人と確認する首実検を行った場所です。

■長福寺の場所の住所■

名古屋市緑区桶狭間427

>>長福寺の場所の地図

なぜ確認が必要?

織田信長の一代記・信長公記には、今川義元の首実検について以下のような記述があります。

今川勢は運の尽きた証拠だろうか。桶狭間という所は狭く入り組んで、深田に足をとられ、草木が高く・低く茂り、この上もない難所であった。深い沼田へ逃げ込んだ敵は、そこを抜け出せずに這いずりまわるのを、若武者どもが追いかけ追い着き、二つ・三つと手に手に首を取り持って、信長の前へ持参した。「首はどれも清洲で検分する」と信長は言い、義元の首だけはここで見て、満足この上もなかった。 出陣して来た時の道を通って、清洲へ帰陣した。

※現代語訳信長公記 新人物往来社 中川太古訳より

今川義元の首を討ち取ったといっても、信長は義元に会ったことはなく、顔も知りません。だから義元の顔を知る人物に義元の首を確認させたのです。その場所が長福寺といわれています。

長福寺には今川義元と高根山を守っていた松井宗信(遠州二俣城主)の木像があります。基本非公開なのですが、年に数回拝観できるイベントがあります。

長福寺境内の隅にある今川義元公首検証の跡。ここで義元の首の本人確認作業が行われたといわれています。

もとは杉の大木があり、そのふもとで首実検が行われたとか。今ではその杉も枯れてしまい二代目の杉が植えてありますが、木の根はそのままに残してあります。これは一部ですがかなり大きかった杉なのでしょう。

杉の木の横には五輪塔やらお地蔵さんやらがあります。供養のためでしょうか。

血刀濯ぎの池

首検証の跡から更に奥に進むと弁天池があります。桶狭間合戦後にここで血の付いた刀を洗ったといわれ血刀濯ぎの池(ちがたな すすぎのいけ)と呼ばれています。

弁天池の上流には今でも水が湧いている泉があります。この桶狭間は14世紀頃、南朝の落ち武者が隠れ住んだ村といわれ、この泉も村人の生活のための水だったのでしょう。

私の感想

私の長福寺の感想ですが、桶狭間古戦場公園から数百メートルくらいの距離で、徒歩でも所要時間も10分ほどなので、ここもセットで訪れることをオススメします。

ただ普通に運営されている寺院なので、訪れる時は節度をもって参拝しましょう。

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