美浜町奥田相模谷は源頼朝の父・義朝由来の地名だった!その詳細とは?

愛知県知多郡美浜町奥田に相模谷という地名があります。知多は旧国名では尾張なのに相模?少し変わった名前です。この由来は鎌倉幕府を開いた源頼朝の父・源義朝に関係する地名といわれています。

地元の美浜町史によると、屈谷(しゃがみだに)という地名が相模谷(さがみだに)になったとのことですが、その詳細がこちらです。

相模谷の由来

源義朝は平治元年(1159)に起こった平治の乱でライバルの平清盛に敗れます。その後、本拠地である関東に戻る途中に長田忠至(おさだ ただむね)、景至(かげむね)親子から招かれ、尾張野間(美浜町)に身を寄せました。

しかし1月3日の正月の初湯で入浴中に長田忠致、景至親子によって暗殺されてしまいます。

義朝の首を取った長田忠致、景至親子でしたが、屈強で知られた義朝の家臣たちがまだ残っています。その家臣たちが義朝の敵(かたき)を取りに来ると思い、一晩中身を伏せていたといわれているのが屈谷(しゃがみだに)でした。

場所は暗殺現場のすぐ近く

美浜町奥田相模谷の地名の場所は、源義朝が暗殺された湯殿跡のすぐ近くです。湯殿跡は法山寺の裏にあるので徒歩2分の所要時間で行くことができます。

>>源義朝公横死の湯殿水跡の地図

私の感想ですが、地名にはその土地の歴史が残っている場合が多いです。今回の相模谷は屈谷から変化した地名ですが、平安時代末期の出来事にちなむ地名ということで興味深かったです。

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