桶狭間古戦場に残る瀬名伊予守氏俊陣地跡は、桶狭間合戦時に今川軍の先鋒だった瀬名氏俊の陣跡です。
今川義元がイキナリ桶狭間に来たのではなく、現地の偵察を兼ねた先鋒隊が来た後、大将である今川義元が着陣しています。
■瀬名伊予守氏俊陣地跡の住所■
名古屋市緑区桶狭間332
アクセス方法
瀬名伊予守氏俊陣地跡への行き方です。電車でアクセスする場合は最寄り駅は名鉄本線・有松駅。そこから徒歩だと所要時間は約25分です。
車でアクセスする場合ですが、瀬名伊予守氏俊陣地跡には駐車場がありませんので、駐車可能な場所に車を停めて歩いて移動しましょう。
この人は瀬名姫(築山殿)の一族?
たまに質問があるのですが、瀬名という名前なので徳川家康の正室だった瀬名姫(築山殿)の一族?という疑問ですが、結論から言うと一族です。
異説もあるのですが、瀬名氏俊の弟が関口親永(瀬名姫)の父といわれており、瀬名氏俊から瀬名姫(築山殿)を見ると姪になります。
石碑と陣跡の違い
実際の陣跡は、瀬名伊予守氏俊陣地跡の石碑から東南約100mほどの所といわれています。石碑がある場所に陣を張っていたわけではなさそうです。
陣跡の現状は畑地。陣跡の遺構みたいなものは残っていません。
私の感想ですが、あまり聞かない瀬名氏俊という武将ですが、今川軍の先鋒ということで、桶狭間合戦ではチラホラ名前が出てきます。
まず戦評の松は、瀬名氏俊が諸将を集めて軍議した場所といわれていますし、桶狭間神明社には瀬名氏俊が戦勝祈願で奉納した酒樽が残っています。
この瀬名氏俊という武将の名前は桶狭間古戦場でチラホラ出てくるので、チェックしておくとよいです。