名古屋市緑区の高根山は、永禄三年(1560)の桶狭間合戦時、今川軍の前衛部隊・松井宗信(遠州・二俣城主)が陣を置いたとされる場所です。現在では有松神社が建立されており、周辺は住宅ばかりですが、東、北、西に向けて眺望がよく、進軍する織田信長軍を監視できた要所です。
■高根山の場所の住所■
名古屋市緑区有松町大字桶狭間高根39−2
アクセス方法と駐車場
電車で高根山にアクセスする場合、最寄り駅は名鉄本線・有松(ありまつ)駅です。有松駅からだと徒歩で役15分くらい。有松神社を目指して歩けば到着します。また車でアクセスする場合ですが、高根山には専用の駐車場がありません。また周辺は住宅密集地なので車を停めることもできません。駐車可能な場所に車を停めて徒歩でアクセスしましょう。
桶狭間は山と谷
今回は電車でアクセスしてみました。名鉄有松駅から高根山(有松神社)に向かうと、上り下りがいくつかあります。尾張といえば濃尾平野というイメージですが、桶狭間は平地ではなく、山岳地帯と言っていいほど、山と谷がいくつもある印象です。
高根山もこんな坂道を登ります。この日はジーパンにスニーカーで行きましたが、戦国時代は甲冑着て登った坂なんですね。
名古屋市緑区 #桶狭間古戦場 の #高根山。今川軍の前線の陣跡。現在は住宅地で名古屋駅まで見える高台。砦みたいな立地です。ここから #織田信長 本隊の進軍を監視してたみたいですが、織田の別働隊に攻められて押し返してた時に本隊を見失う。その時すでに #今川義元 本陣間際まで進んでたそうな pic.twitter.com/MMQ2WiE6Et
— 愛知戦国史跡ナビゲ-タ-・みかわのひで (@mikawanohide) March 21, 2024
山頂付近から西側を見た景色。かなり遠くまで見渡すことができます。桶狭間は今では名古屋市でも人気の住宅地なので家ばかりです。戦国時代はどんな景色だったのでしょうか?
そして到着
高根山に到着しました。有松神社の社が見えますね。山頂は削平地でここに松井宗信たち大将がいたのでしょう。
桶狭間古戦場公園(緑区)に建っている看板で高根山の場所をチェックしてみます。今川軍と織田軍がぶつかり合う最前線みたいな場所にあることがわかりますね。
織田信長の一代記・信長公記を読むと、佐々政次(佐々成政の兄)と千秋季忠の2つの織田軍が高根山の松井宗信軍に突撃して全滅しています.しかし佐々政次、千秋季忠が高根山を攻めている間に織田信長本隊は今川義元本陣のすぐそば、フトコロに飛び込むことができたと考えられています。
現地の看板
高根山の山頂には現地案内看板が2つ設置されています。
ひとつは高根山を中心に周辺はどんな様子だったのかを解説しています。織田軍の進軍ルート、そして今川義元本隊の進軍(予想)ルートが興味深いです。
寄贈 愛知ウォーキング城巡りクラブ制作
NPO法人桶狭間古戦場保存会 有松桶狭間観光振興協議会
もうひとつは高根山からの眺望の良さについての看板。高根山は東、北、西に向けて眺望が良い立地です。北西側を見ると織田信長の進軍ルートである、丹下砦、善照寺砦、中島砦が見えました。
現在では名古屋駅までシッカリと見えます。戦国時代はビルやマンションなどありませんでしたから、遠くまではっきりと見えたのでしょう。
私の感想
私の高根山の感想ですが、今川義元本隊の前線にある眺望の良い場所なので、桶狭間合戦の雰囲気が残る場所だと思いました。徒歩で登って来るのは少し大変でしたが、これも戦国時代の陣跡体験ということで良かったです。