名古屋市緑区の桶狭間神明社は、永禄三年(1560)の桶狭間合戦前に今川軍の瀬名氏俊が戦勝祈願をし、酒樽を奉納した神社です。
■桶狭間神明社の住所■
名古屋市緑区桶狭間古神明1520
永禄三年(1560)5月19日に今川義元は桶狭間に着陣しましたが、その2日前に先鋒隊の瀬名氏俊が桶狭間に陣を張り、桶狭間神明社に戦勝祈願をしたといわれています。
桶狭間は南朝の落ち武者が開拓した村といわれ、その村の氏神として信仰されていた神社なのでしょう。
かつての古戦場だった名古屋市緑区桶狭間は現在では閑静な住宅地になっています。しかし桶狭間神明社には森になっており、かつての桶狭間もこの様な木々に覆われていた場所なのでは?と思うほどです。
桶狭間神明社の脇に旧街道・大高道(おおだかみち)があります。これは大脇村(豊明市)から大高城に向かっている街道で、もし今川義元が桶狭間で討たれなかったら、この大高道を通って大高城に向かっていたであろうと考えられています。
この大高道は現在でも7割くらい残っていて、歩くこともできます。
桶狭間神明社に残るしめ縄がついた杉は、尾張四代藩主・徳川吉通(とくがわよしみち)の手植えの杉といわれています。
現在では枯れており、代わりに隣に若杉が植えられています。
私の感想
私の桶狭間神明社の感想ですが、近代的な建物が広がる桶狭間において、ここだけ異空間という感じがしました。閑静な住宅街と温度差がありすぎますね。
また大高道は街道歩きが好きな人は是非、チェックしておいてほしい遺構だと思いました。