桶狭間の地名の由来は水だった!今川義元首洗の泉に残る伝承とは?

織田信長と今川義元が戦った桶狭間(おけはざま)合戦の地名について。この桶狭間という地名の由来はからきているとか。
    
    
もともとこの辺は南朝の落ち武者が開拓した村で、水が豊富な土地でした。湧き出る水の勢いで、水汲み用の桶がクルクル廻っている様子に興味をもった旅人が、桶廻間と呼ぶようになったとか。
   
   
江戸時代の文章のほとんどは桶廻間でしたが、明治十年(1877)郡町村の制定以降、現在の桶狭間になったそうです。
   
   
名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園には義元公首洗の泉があります。現在ではポンプ式の公園の池みたいになっていますが、桶狭間の意外な由来を知ることができます。

これが桶狭間古戦場公園にある、今川義元の首洗の泉といわれるもの。水が豊富だった桶狭間ですが、昭和六十一年(1986)の区画整理以後、豊富だった清水も途絶えてしまったのだとか。

私の感想ですが、桶狭間という地名の由来がよく分かる話だと思いました。現在の桶狭間古戦場公園の今川義元首洗の泉は、公園のポンプ式みたいになっていますが、かつては勢い良く水が湧いていたのでしょうね。

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