岡崎市中町にある瑞生山総持尼寺(そうじにじ)は、戦国時代に徳川家康の正室・瀬名姫(築山殿)が住んでいた寺です。この寺に築山があったので瀬名姫は築山殿と呼ばれる様になりました。昭和五年(1930)に現在地に移転しました。
■総持尼寺の場所の住所■
岡崎市中町小猿塚37
創建は健保二年(1214)
歴史が複雑なので簡単にまとめて説明します。
・本間三郎重光射止めると一匹の白狐だった
・その後、順徳天皇が病にかかる
・陰陽師によると白狐のタタリと判明
・タタリを収める為に順徳天皇の皇女を開山として創建
・二世 善崇尼(ぜんしゅうに)の没後、60年ほど無住になる
・永仁四年(1296)高師氏(こうのもろうじ)が寺領を寄進
・文和四年(1355)現在の岡崎市中心部一帯が寺領として寄進される
・永禄三年(1560)桶狭間合戦後、瀬名姫は岡崎城ではなくこの寺に住む
・天正七年(1579)築山殿は遠江国小藪村(浜松市)中区で殺害される
・慶長八年(1603)徳川家康によって寺領100石が寄進される
・寛文十年(1670)消失
・安政元年(1854)再建されるも地震で倒壊
・昭和五年(1930)現在地に移転
令和五年(2023)のNHK大河ドラマ・どうする家康では、有村架純(ありむらかすみ)さんが瀬名、つまり築山殿役を演じました。
ドラマの中で瀬名は築山があった場所で生活していたので築山殿と呼ばれる様になりましたが、あの築山があった場所が総持尼寺なのです。つまり徳川家康の正室・瀬名は尼寺に住んでいたということです。
総持尼寺の境内には築山稲荷が移転されています。
もとはここにあった!
昭和初め頃に現在地に移転した総持尼寺。つまり瀬名(築山殿)が住んでいた築山は戦国時代にはどこにあったのか?瀬名(築山殿)はどこで生活していたのか?という、もとの場所を説明します。総持尼寺の住職によると現在の岡崎市康生通南3丁目にある岡崎康生郵便局からNTT西日本岡崎ビルにかけての辺りだということです。
南を見るとガクッと下がっています。実はこの場所は南に乙川(菅生川)が迫ってきていた崖の上にあった場所。現在の国道1号線あたりは戦国時代には川でした。
南から総持尼寺があった場所を見てみましょう。現在、名鉄・東岡崎駅近くに桜城橋(さくらのしろはし)という観光名所があります。そこに徳川四天王の石像が建立されているのですが、井伊直政(万千代)の斜め背後のビルがNTT西日本岡崎ビルです。名鉄・東岡崎駅側からの行き方はこれを参考にしてください。
私の感想
私の総持尼寺と築山稲荷の感想ですが、移転されているとはいえ、家康の正室・築山殿を偲ぶ史跡だと思いました。また近くには松平信康の首塚がある若宮八幡宮、そして築山殿の墓(首塚とも)が残る祐傳寺と八柱神社もあるのでセットで訪れる事ができます。