岡崎市魚町にある大林寺は、徳川家康の祖父・松平清康、そして父・松平広忠の墓がある寺院です。
■大林寺の場所の住所■
岡崎市魚町1丁目6
岡崎城近くにある大林寺。ここは清康の祖父、父の墓所として有名ですが、その他にも興味深いエピソードがいくつかあるので、まずはそのオハナシからチェックしてみましょう。
動かせなかった大林寺
田中吉政が岡崎城主だった時(1590~1600)、岡崎城下を大規模に整備することになりました。吉政は城下の寺院を移設しまくり、大林寺も明大寺へ移そうとしましたが、大林寺を移そうとするとなぜか耳が痛くなり、治りません。
そこで移転を中止すると耳が治ったので、結局、吉政は大林寺だけそのままにしました。
大林寺曲輪
2007年、マンション建設時に岡崎城近くの地下を掘ったら、何やら石垣群が出てきました。これはかつての岡崎城大林寺曲輪の遺構。
当時、私もムリヤリ仕事を定時で終えて、この発掘調査の現場に写真を撮りに行った記憶があります。
現在ではマンションになってしまいましたが、この見事な曲輪跡の名前も大林寺から来ているので、岡崎城に対しての影響力も強かった寺だと思います。
大林寺を散策してみると…
それでは、現在の大林寺を散策してみましょう!大林寺の一番の見どころは戦国武将たちの墓所ですね。いろんな武将の墓があります。
松平清康の墓。徳川家康の祖父です。文武両道の武将で若くして三河をほぼ統一しかけたのですが、家臣のカンチガイで暗殺されてしまいました。享年25。
徳川家康の父・松平広忠の墓。清康が亡くなり家督を継いだ広忠はわずか10歳。松平家を支えきれず、駿河の今川氏の力を頼ることになります。
24歳で亡くなりました。
松平清康の妻・於波留(おはる:春姫)の墓。西郷信貞(松平昌安)の娘といわれます。
これは獅子頭の石(ししがしらのいし)。徳川家康が8歳の時、父・広忠の墓参の時に納めた石と伝わります。
松平清康の妻・於波留(おはる)の父である、西郷信貞(松平昌安)の墓。
こちらは初代岡崎城主・西郷頼嗣の墓。
※頼嗣の読みは よりつぐ
こうやって大林寺墓地を見てみると、西郷氏から松平氏へと権力が移る様を見る事ができますね。
所要時間と私の感想
大林寺の所要時間について。今回、墓所の参拝と御朱印を合わせると、おおよそ20分くらいでした。
そして私の大林寺の感想ですが、この寺は岡崎城を訪れた時にセットにする事をオススメします。その理由は次の2つです。
まずは岡崎城に近いという事。徒歩5分くらいです。
ふたつ目は、徳川家康の祖父、松平清康の墓所をはじめ、松平広忠や西郷氏の墓所もあるので、家康以前の岡崎城主に興味がある人は是非参拝してほしいと思います。
そして御朱印
大林寺の御朱印。300円です。阿彌陀如来(あみだにょらい)の文字がインパクトありますね。