岡崎市渡(わたり)町にある渡古戦場は、徳川家康の父・松平広忠と広忠の叔父だった松平信孝が戦ったといわれる場所です。
■渡古戦場の場所の住所■
岡崎市渡町井領7ー1
なぜこの戦いが起こったのか、簡単に説明します。
松平清康死後の戦い
まず徳川家康の祖父・松平清康は13歳で家督を継ぎ、三河をほぼ平定します。しかし25歳の時、家臣のカンチガイで亡くなり、松平氏は大混乱になります。なぜかというと清康の後を継ぐ息子・広忠はまだ10歳。西の尾張の織田氏とは当時宿敵でしたし、東の今川氏からも圧迫されていたのです。しかも広忠が家督を継ぐと、松平家でも内輪もめとなってしまいます。
そんな中、清康の弟で三木城主・松平信孝は広忠を助け後見役になりますが、次第に専横が目立つようになり、今度は広忠と仲が悪くなりました。松平宗家(本家)と戦う事になった信孝は、尾張の織田氏と手を組み広忠軍と戦います。その場所が渡古戦場といわれています。
結果は鳥居忠宗の活躍により、広忠軍が勝利しました。しかし広忠は勝ったとはいえ、松平氏の力は弱く、この後も駿河の今川氏の力を頼ることになります。
そんな渡古戦場跡は現在矢作川沿いの田んぼです。渡古戦場の石碑がある場所は、渡町の諏訪神社の中です。境内の片隅にポツリと石碑が建っています。実際の古戦場は、諏訪神社のもっと南にあったそうですが、矢作川(やはぎがわ)の改修工事で現在地に移ったそうです。
私の渡古戦場の感想ですが、郷土史レベルの古戦場ですが、あまり知れていない史跡なので、松平氏に興味がある方にはオススメです。またこの渡古戦場から車で5分くらいの場所に、鳥居元忠の生誕地といわれる渡城跡もあるので、セットで巡るのも良いですね。