岡崎市上和田町の浄珠院(じょうじゅいん)は、三河一向一揆の時に和睦が成立した場所で、松平信孝(家康の父・広忠の叔父)の墓が残る寺です。
永禄三年(1560)の桶狭間合戦後に岡崎城で独立した松平元康(後の徳川家康)が直面した三河一向一揆は家臣団を分断させる大事件でした。その和睦が成立したのがこの浄珠院で、実質は元康たちが勝利した形になりました。
目次
浄珠院のアクセス方法
浄珠院の行き方を説明します。電車でアクセスする場合はJR岡崎駅が浄珠院の最寄り駅なので、そこから歩いてアクセスします。距離は約1km。徒歩での所要時間は約15分です。
車でアクセスする時は以下の住所や地図を参考にして行きます。浄珠院には参拝者専用の駐車場があるのでその駐車場を利用します。
■浄珠院の場所の住所■
岡崎市上和田町北屋敷55
そして境内
浄珠院境内と本堂。この地で三河一向一揆の和議が結ばれたと思うと、当時はどの様な様子だったのか想像してしまいます。基本的には外には何も残っていないです。
松平信孝の墓
三河一向一揆とは関係ないですが、墓地には松平信孝の墓があります。この人物は徳川家康の祖父・松平清康の弟で、守山崩れで清康が暗殺されると家康の父である松平広忠の後見役となり広忠をサポートした人物です。しかし後に広忠と対立。耳取縄手の戦い(現在の岡崎市明大寺町付近)で討死しました。
私の感想ですが境内と松平信孝の墓くらいしかないので見学に必要な所要時間は5分くらいだと思います。大久保氏の上和田城や三河一向一揆の拠点のひとつになった勝鬘寺など近くの城址や史跡とセットで訪れると良いでしょう。