三河一向一揆の拠点のひとつだった岡崎市勝鬘寺(しょうまんじ)

岡崎市針崎町の勝鬘寺は戦国時代に本證寺上宮寺と並び三河三ヶ寺と呼ばれ、三河一向一揆の拠点のひとつになった寺です。

※勝鬘寺の読みは しょうまんじ

■勝鬘寺の場所の住所■

岡崎市針崎町朱印地3

>>勝鬘寺の場所の地図

もとは碧海荘赤渋(現在の岡崎市赤渋町)にあった勝鬘寺ですが、明応五(1496)に現在地に移転。三河一向一揆の時、一揆勢の拠点のひとつになりました。現在の本堂は江戸時代に再建されたものです。ここも徳川家康の三河時代ゆかりの寺という事でチェックしてみましょう!

まずは石碑から

本堂前の勝鬘寺の石碑を見てみると、永禄六年 三河一向一揆戦陣跡と刻まれています。

現在の勝鬘寺は少し高い場所にあります。

旧街道

現在の勝鬘寺の前の道・県道43号線(岡崎碧南線)は、土呂西尾道(とろにしおみち)という旧街道です。そのまま南へ行くと石川数正ゆかりの土呂城跡へ繋がります。

渡辺綱高戦死地

渡辺綱高(わたなべたかつな)とは、槍の名手で名高い渡辺守綱の父です。占部(現在の岡崎市国正町あたり)の出身で、三河一向一揆では息子・守綱と共に一揆方として勝鬘寺に籠もりましたが討死してしまいました。その高綱を顕彰する石碑と説明板です。

ちなみにこの渡辺高綱の息子・渡辺守綱ですが、令和五年(2023)NHKの大河ドラマ・どうする家康では俳優の木村昴さんが守綱役を演じ話題になりました。

御朱印場所へのアクセス方法

勝鬘寺の御朱印を受ける時の説明をします。勝鬘寺にはパッと見、御朱印を受け付けている窓口が有りません。そこで隣の白鳩保育園への作画開くのでそこから中に入ります。

すると勝鬘寺の入り口があるので、ここから御朱印を受けたい旨を伝えると、御朱印を頂くことができます。

これが勝鬘寺の御朱印。ほぼスタンプだったのはここだけのハナシ…

私の感想

勝鬘寺は私が講師を務める愛知ウォーキング城巡りクラブの歴史散策ウォーキングでも好評だった史跡です。大河ドラマ・どうする家康で三河三ヶ寺として紹介もされたのでなおさらでしょう。

私の岡崎市勝鬘寺の感想ですが、ここも三河一向一揆ゆかりの寺院ということで、三河一向一揆に興味がある人にはオススメだと思います。JR岡崎駅からも約1km、所要時間は約15分くらいで電車アクセスも便利なので、是非、チェックしてみて下さい。

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