幸田町明善寺と岡崎市法蔵寺に残る夏目広次(吉信)の墓

三河一向一揆で松平元康(徳川家康)と敵対し、三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって討ち死にした夏目広次(吉信)の墓が愛知県の2ヶ所あるので紹介します。まずは額田郡幸田町の明善寺墓所です。

※夏目広次は吉信の名前の方が有名ですが、一次資料では広次となっているため、広次の表記で説明します。同一人物です。

額田郡幸田町六栗本郷に夏目氏三代の墓があります。このうちのひとつが夏目広次の墓です。

■明善寺夏目氏墓所の住所■

額田郡幸田町六栗本郷77

>>明善寺夏目氏墓所の地図

【夏目吉信】広次のこと。三河一向一揆で松平元康と敵対しましたが、三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなり討ち死にしました。

【夏目吉久】広次の父。六栗城(夏目屋敷)を築いた人物。

【夏目吉為】広次の子・吉忠のこと

看板を見ると戦国時代の墓ではなく、幕末の頃に整備されたものということがわかります。

夏目吉信(広次)の墓を見ると遠州味方ヶ原(三方ヶ原)に於いて討死とあります。

六栗城の場所はどこ?

夏目氏が城主だった六栗(むつぐり)城は明善寺の北西、字山屋敷にあった城です。夏目屋敷とも。愛知の城(山田柾之著・サンマーク出版)に『三州一向宗乱記』には吉信(広次)らは六栗城に籠もったという記載があります。このことから三河一向一揆の際に一揆勢が籠城できるほどの規模と防御度だったのでしょう。

現在、六栗城址は消滅していますが、愛知県教育委員会発行の愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ西三河には、矢倉、竹ノ下、中屋敷、夏目山という、城址ゆかりの地名(字名)が残っていることを指摘しています。

法蔵寺の墓

岡崎市法蔵寺にも夏目広次(吉信)の墓があります。場所は境内奥の墓所です。ここには広次ほか松平広忠(徳川家康の父)など、松平氏ゆかりの墓所でもあります。

■法蔵寺の場所の住所■

岡崎市本宿町寺山1

>>法蔵寺の場所の住所

墓所には夏目次郎左衛門之墓と記載がありますが、これが夏目広次(吉信)の墓です。ちなみに隣に鳥井四郎左衛門之墓がありますが、これは鳥居忠広のことで、鳥居忠吉の四男(鳥居元忠の弟)です。

彼も三河一向一揆では松平元康(徳川家康)に歯向かいましたが、その後帰順。三方ヶ原の戦いでは武田軍に対して籠城戦を主張しますが、それにより成瀬正義に腰抜けと呼ばれ喧嘩になります。

いざ合戦が始まると予想通りに徳川軍は大敗。新井本坂で殿(しんがり)軍を務めましたが、武田二十四将の一人・土屋昌続と一騎打ちの末に討ち取られました。

三方ヶ原にも残る顕彰碑

静岡県浜松市の三方ヶ原古戦場跡にも夏目吉信の顕彰碑(墓ではない)があります。場所は犀ヶ崖(さいかがけ)資料館の直ぐ側。静岡県浜松市でも顕彰されている英雄です。

>>夏目吉信の顕彰碑の地図

私の感想

夏目広次(吉信)はマイナーな武将ですが、令和五年(2023)NHK大河ドラマ・どうする家康で俳優の甲本雅裕さんが演じることで話題になりました。これをキッカケに夏目広次(吉信)に対し、歴史ファンの興味が向けられればなと思います。

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