夏目広次(吉信)が三河一向一揆で籠城した幸田町野場西城跡

愛知県額田郡幸田町の野場西城(のばにしじょう)跡は、大須賀氏が築いた城といわれ、三河一向一揆の時に夏目広次(吉信)が籠城した城です。

大須賀氏といえば徳川二十四将の中にいる大須賀康高が有名です。また夏目広次(吉信)は三方ヶ原の戦いで徳川家康の身代わりとなった武将。ちなみに令和五年(2023)NHK大河ドラマ・どうする家康では甲本雅裕(こうもとまさひろ)さんが夏目広次役です。

>>野場西城の土塁跡の地図

アクセス

まずは野場西城への行き方を説明します。幸田町野場字城の県道325号線沿いに野場西城跡と書かれたアクセス看板が建っているので、この看板に従い進みます。ここから約120mです。ちなみに駐車場はありませんので、車で訪れる場合は駐車可能な場所に車を停めて徒歩で移動します。

看板から野場西城跡への行き方は地図の通り。最初の十字路を左に向い民家入り口のところです。

バスでのアクセス

野場西城付近には電車駅が無いので、公共交通機関でアクセスするなら幸田町のバス・えこたんバスで向かいます。えこたんバスの野場城(赤川橋付近)バス停で降り、ここから徒歩で野場西城跡へ向かいます。

野場西城の遺構

野場西城は現在民家になっています。入り口に野場西城の土塁跡が残っており、石碑もあります。石碑には石碑野場城跡と刻まれています。

土塁の表側には幸田町教育委員会が建てた野場西城土塁の看板があります。幸田町指定文化財なんですね。

地形を見てみる

国土地理院地図の色別標高図で野場西城を見てみます。すると山や大地を背にして東側に開けた場所にあることがわかります。地形的にはそんなに堅固ではなさそうです。

愛知県教育委員会発行の愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ西三河では、土塁が残ることから一定の要害性を求めて構えられた屋敷城と考えられるとあります。

周辺の地名

野場西城周辺の地名もチェックしてみます。まずは野場西城がある場所の地名(字名)が【城】です。そして北側には【城東】、南側には【城下】の字名が残ります。

個人的に気になったのが南の【上市場】、【下市場】の字名。もしかすると野場西城があった時代、城下町だったのかもしれません。現在では住宅密集地で地区の中心部の様な印象です。

堀跡?

野場西城の南に赤川(一級河川)が流れていますが、もしかすると野場西城の堀だったのかもしれません。戦国時代の豪族クラスの屋敷城は周辺の地形を巧みに利用しており、川を天然の堀代わりにしたケースが多いからです。

所要時間と私の感想

野場西城の所要時間ですが、遺構は土塁と高低差くらいなので、看板読んで写真撮って約5分もあれば十分だと思います。私の感想ですが、野場西城はマイナーな城跡ではありますが、大須賀康高、夏目広次(吉信)ゆかりの城ということで、三河の戦国史には重要な城だと思います。

特にNHK大河ドラマ・どうする家康でもピックアップされますが、三河一向一揆で甲本雅裕さん演じる夏目広次(吉信)が奮戦した場所がここなんだなと思うといろんな妄想も膨らみます。

あと注意事項ですが、野場西城は普通に民家なので、周辺含め住人の方に迷惑がかからないように土塁を見学させてもらいましょう。

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