額田郡幸田町の八百富神社は、かつて大久保彦左衛門忠教(ただたか)の大久保陣屋があった場所です。坂崎陣屋とも
■大久保陣屋跡の住所■
額田郡幸田町坂崎御屋敷10
大久保彦左衛門忠教といえば、徳川家康に意見したということで天下の御意見番として有名な人物です。また三河物語の著者でもあります。その忠教の領地が三河国に千石にあり、その領地を管理した拠点が大久保陣屋です。
陣屋の歴史
現地案内看板には以下のように記されています。
この八百富社は、大久保彦左衛門の陣屋跡である。
大久保氏は、もと宇都宮氏を称したが、彦左衛門の父・忠員(ただかず)の時から大久保を称した。大久保氏は三河普代中でも、岩津普代と呼ばれる最も由緒ある家柄で、父祖代々、一族を挙げて徳川氏に仕え、徳川幕府成立のために忠勤を励んだ。
彦左衛門忠教は、父・忠員の八男で、大久保一族とともに各地を転戦、慶長十九年(1614)家康の直参に取り立てられたが、知行はわずかに坂崎における千石であった。その後、寛永元年(1624)千石の加増をうけ、竜泉寺、桑谷、羽栗などを領した。
陣屋の遺構
大久保陣屋は現状、八百富神社ですが神社内に陣屋時代の遺構が残っています。まずは石垣。陣屋はその地域の政治の拠点で、城郭研究では城跡として研究されています。現在ではうっすら残った石垣ですが、これも貴重な遺構です。
個人的に気になったのが八百富神社周辺に残る土盛り。かつて陣屋時代の土塁跡では?と思いますがどうですか?
平岩親吉ゆかりの石
この平らな大石(片岩)は、幸田町大字久保田字平岩に昔から存在したといわれる『平岩の射割(いわり)石』の一部である。坂崎に生まれ、若い時から家康に仕えた勇将で、後に尾張の犬山藩主(十二万三千石)平岩親吉の先祖・氏重が、松平信光に従い坂崎の城主となった時、この名石に因んで『平岩』を名乗ったといわれている。
この石は、明治四十年、平岩の地に用水路が造営され、池のえん庭にあったため取り除かれることとなり、その頃、坂崎の耕地整理が実施され用水路の橋材に適すると言うので、これを割って利用されてきた。 今回、坂崎区のほ場整備が完工し不要となったので、ここにまとめて永く保存することとした。
幸田町教育委員会
平岩親吉といえば徳川家康の信頼も厚い家臣で、成瀬氏の前に犬山城を任された戦国武将で有名です。令和五年(2023)大河ドラマ・どうする家康では岡部大さんが平岩親吉を演じました。その平岩氏の名前はここから由来しているとは。
所要時間と私の感想
大久保陣屋の所要時間は10~15分くらいです。私の感想ですが、大久保彦左衛門忠教は大坂の陣の後に徳川家康とのやりとりで有名ですが、三河に陣屋跡が残っているのは意外でした。江戸時代には一心太助とともに講談や歌舞伎で有名になった大久保彦左衛門忠教なので、好きな方は是非、チェックしてみてください。