額田郡幸田町に残る夏目広次(吉信)の六栗城址アクセスから見どころ

額田郡幸田町六栗の六栗城址は三河一向一揆で徳川家康と戦い、後に遠州三方ヶ原で亡くなった夏目広次(夏目吉信)の居城跡です。

■六栗城址の住所■

額田郡幸田町六栗中屋敷40

>>六栗城址の場所の地図

夏目広次(夏目吉信)は三河の武将でも知っている人が少ないくらいマイナーな人物でしたが、令和五年(2023)NHK大河ドラマ・どうする家康甲本雅裕(こうもと まさひろ)さんが夏目広次(夏目吉信)を演じて話題になりました。

そんな夏目広次(夏目吉信)は現在の幸田町六栗周辺を治めていた領主で、その拠点が六栗城でした。かつてはどんな城だったのか?見どころのポイントをチェックしてみます。

六栗城址へのアクセス

六栗城址への行き方を説明します。まずは電車編。電車で六栗城址へアクセスする場合、最寄り駅のJR幸田駅を目指します。幸田駅で降りてあとは徒歩で移動。所要時間は約15分です。

車での行き方ですが、グーグルマップを参考にアクセスしてみましょう。しかし六栗城址は専用の駐車場がありません。駐車可能な然るべき場所に駐車して六栗城址を目指します。

案内看板もある

六栗城址近くの県道320号線から六栗城址へのアクセス看板があるのでそれに従って向かいます。

すると緩やかに坂を上っている事に気が付きます。城跡は少し高台にあるということですね。

そして城

着きました!六栗城址の大きな石碑です。でも思いっきり民家の前にあるので、敷地内に立ち入らない様にしましょう。

石碑の裏です。石碑が建立されたのが令和五年(2023)です。ちょうど大河ドラマ・どうする家康が放送された年。確かにどうする家康では、甲本雅裕(こうもと まさひろ)さん演じる夏目広次(夏目吉信)が三方ヶ原で最後を遂げる時、泣ける設定になっていたので、それがキッカケで夏目広次(夏目吉信)が有名になったというのがありますね。

周辺を古地図と現代地図で比較

六栗城址の周辺を時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」を使い、明治時代の古地図と現在の住宅地図で比較してみます。

・城址の西に街道が通っている

・北と東は低くなっており田んぼ

・東を流れる広田川は天然の堀にもなる

・城址周辺は集落になっていた(今もそう)

あくまで明治時代ですが、北と東が田んぼ(湿地帯)で守られており、西から南へは街道が通っており、集落(村)がすぐ近くにあった城だったことが分かります。

街道はどこへ?

六栗城址の西を通る道は明治時代にもあって、そのまま北に向かうと野場(のば)へ向かいます。野場というと、夏目吉信(夏目広次)が三河一向一揆の時に立て籠もり、松平軍(徳川軍)と戦った野場城がありました。

私の仮説ですが、この事から六栗城址の西を通る道は、戦国時代に六栗城と野場城を結んでいた旧街道ではないかと思います。

そして高低差

古地図にあった様に北側~東にかけて低くなっています。しかも現在でも田んぼです。これから分かることは、北~東にかけて備えていた城だったのでしょう。

地名と史跡もチェック!

六栗城址の周辺には気になる地名と史跡もあります。

・中屋敷(六栗城の館城のことか)

・山屋敷(重臣の屋敷があったかも)

・矢倉(武器庫の名残か)

・本郷(庶民の集落があった場合に使われる地名)

また夏目吉信の墓は幕末頃に整備された夏目一族の墓があります。深溝陣屋移築陣屋門は江戸時代にこの地を治めていた陣屋の門を移築したものです。

私の感想

私の六栗城址の感想ですが、基本、石碑しか建ってないものの、周辺の地名(字名)や高低差、そして旧街道や関連史跡が楽しめると思いました。城の遺構は残っていませんが、周辺をグルっと周ってみるといろんな発見がありました。

【あなたも一緒に城巡りしませんか?】

愛知県の城跡や戦国史跡を巡る歴史好きのサークル・【愛知ウォーキング城巡り倶楽部】。活動は毎月第一土曜、もしくは日曜日。現地集合、現地解散で行われる見学会です。城好き、戦国好きの方が在籍しています。歴史に詳しい、詳しくないなどは関係なし!好きならそれでOKです。入会費や年会費などもなく、参加する時だけ参加費を払うだけなので、あなたも気軽に遊びに来てみませんか?

>>詳しくはこちら

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク