岡崎市井田町城山に残る三河井田城址は、徳川四天王の筆頭・酒井忠次の生誕地といわれる城跡です。酒井忠次といえば、令和五年(2023)NHK大河ドラマ・どうする家康で俳優の大森南朋さんが演じることで話題になりました。この記事では井田城址の見どころやポイントなどを解説してみます。
■井田城址の場所の住所■
岡崎市井田町城山19
三河井田城址へのアクセス
三河・井田城址の現状は井田公園東側の神社になっています。最寄り駅は愛知環状鉄道・北岡崎駅です。北岡崎駅から井田城址の距離は約1km。徒歩での所要時間は約15分です。車でアクセスする場合は神社の駐車場が数台分あるので、その駐車場を利用できます。
そして井田城址
まずは井田城を西側から見てみましょう。高くなっていますね。5mくらいでしょうか。西側を意識した立地になっています。
国土地理院地図の色別標高図で井田城を見てみると、大地の端にあることがわかります。西側は低くなっており、低湿地だったのでしょうか。もし西側から攻めると高台にあるので攻めにくいです。
城内は神社になっており、井田城址の石碑が建立されています。土塁や堀跡など、これといった遺構は残っていません。
岡崎発展の歴史にはその基礎に井田城の存在があり徳川三百年の泰平に大きな役割を果たしたのであります。
応仁より天文年間までの約百年に亘り特筆される激戦が四回もありいわゆる井田野の合戦といわれたこれに勝ち抜いたのでやがて徳川が覇を制することが出来たのであります。
ここは岡崎城と大樹寺を結ぶ直線上にあり連携もよく眼下は一望の平野が開け天然の要害の堅塁としての地形を具備して居りこの井田城を守る代々の将兵は強く(私たちの祖先)堅忍不抜、勇猛果敢の精神はここで培われ父祖伝来の三河武士の魂は井田城において発揮されたのであります。
その三河士魂を神格に表現し晴明白龍大神と尊称して奉納したものであります。
神社の石碑。これを見ると松平氏(徳川氏)の岡崎城の北側を防衛する役割があったことが書かれています。
酒井忠次の石像
井田城がある同じ岡崎市内に酒井忠次の石像があります。場所は名鉄・東岡崎駅前近くの桜城橋(さくらのしろはし)。井田城址ではありません。
これは有名な「酒井の太鼓」の像。三方ヶ原の戦いで徳川家康が武田軍に惨敗し浜松城に逃げ帰った後、忠次が城の櫓に登り、太鼓を打ち鳴らして味方を鼓舞したエピソードです。これにより、武田軍には伏兵があると思い、深追いせずに引き返したそうです。
海老すくいとは?
ところで酒井忠次といえば、海老すくいという踊りが得意だったといわれています。おそらく酒宴などでの余興としての特技だったのでしょうが、なぜかこの海老すくい=酒井忠次がひとり歩きしてる感がします。ちなみにこんな踊りです↓
私の感想
井田城は以前、愛知の城を巡る歴史歩きのサークルで訪れました。その時に参加者から出た感想は遺構は残っていないものの、ここが有名な酒井忠次の生誕地かと思うと、三河武士が好きな方にはオススメだとの事でした。あと井田城を巡る所要時間は約10分くらいなので、近くにある大樹寺、そして伊賀八幡宮などとセットで訪れると城巡りの満足度も増すと思います。