岩倉市の岩倉城址は戦国時代、尾張の上四郡を治めていた織田伊勢守家の城です。織田信長の織田家は大和守家。岩倉城は伊勢守家で同じ織田氏でも仲が悪く敵対していました。
最後は織田信長に攻め落とされる岩倉城ですが、現在、その城址はどうなっているのか?早速現地に行ってきました。
■岩倉城の場所の住所■
岩倉市下本町城址122
目次
では城巡り!
まずは岩倉城近くの信号。下本町城址という信号名が萌えますね。
岩倉城跡の石碑の後ろには、織田伊勢守城址という石碑と不動明王像が立ってます。
現地案内看板にある岩倉城の復元図。かつては二重の堀に囲まれていた様でその様子を描いています。周辺にあるのは家臣団の屋敷でしょうか?
こちらも現地にあった復元図。これは現在の住宅地図を中に入れてますね。これにより現在の様子と城があった頃の比較ができます。
また城跡の近くには岩蔵街道(旧柳街道)の看板も有りました。城は何らかの街道を押さえている場所にあり、いわば交通の要所でもありました。
今では桜の名所でも!
岩倉城址の近くを流れる五条川(ごじょうがわ)は、両岸に桜の並木が有り、3月下旬~4月上旬には桜の名所となります。城址と共に楽しめるスポットです。
山内一豊生誕地もある!
岩倉城近くの神明生田神社には山内一豊公生誕地の石碑があります。山内一豊の生誕地は愛知県に2ヶ所あり、そのひとつの岩倉説がこの場所です。(ちなみにもうひとつは一宮市木曽川町)
■神明生田神社の場所の住所■
岩倉市下本町下市場25
私の感想
私の岩倉城の感想ですが、あまり見るものも無いので所要時間は10分もあれば十分だと思います。
遺構は残っていないものの、現地看板などで当時を思い浮かべる事ができますし、信長公記にも出てくる城なので、戦国好きの方にはオススメの岩倉城だと思いました。