織田信長の側室で織田信忠、織田信雄、そして徳川信康(岡崎三郎信康)の妻・五徳の母である、生駒吉乃の荼毘地(火葬地)と墓の場所、アクセス方法を説明します。
吉乃の実家は現在の愛知県江南市にある小折城(生駒屋敷)。生駒氏の娘・吉乃は夫である土田弥平次の戦死後、実家に戻っていたところを織田信長に見初められ、側室になり、織田信忠、織田信雄、そして徳川信康(岡崎三郎信康)の妻・五徳を産んだといわれています。
しかし産後の肥立ちが悪く、永禄九年(1566)に死去。享年39。(29とも)。その時、荼毘(火葬)に付されたのが、現在の江南市田代町にある田代墓地といわれています。
■田代墓地の場所の住所■
江南市田代町西ノ丸236
田代墓地
田代墓地は住宅地に囲まれた場所にあり、車でアクセスする時、細い道を通る場合もあるので注意しましょう。現地には田代墓地の駐車場もあります。
田代墓地にある吉乃の荼毘地(火葬場)。吉乃はここで火葬され、生駒氏の菩提寺である久昌寺に埋葬されました。戦国時代というと土葬というイメージ強いですが、戦国大名の武田信玄も荼毘に付されたという場所もあることから、火葬も普通に行われていたのでしょう。
吉乃の荼毘地の側には彼岸桜の大木があります。この桜の木は平成四年(1992)に放送されたNHK大河ドラマ・信長で吉乃役を演じた高木美保さんが、吉乃の菩提寺・久昌寺を参詣した時、この桜の木を吉乃桜と命名しました。
吉乃の墓所・久昌寺
吉乃の荼毘地(火葬場)から東に約800m離れた場所にある久昌寺跡は、生駒氏の菩提寺で吉乃の墓が残る寺です。生駒氏歴代の墓の片隅に吉乃の墓もあります。現在地には案内看板も建っているのでわかりやすいと思います。
■久昌寺の場所の住所■
江南市田代町郷中51
私の感想
私の感想ですが田代墓地も久昌寺も徒歩で約15分くらいの場所なので、歩くにせよ車でアクセスする場合もセットで訪れる事をオススメします。信長の側室・吉乃は資料もあまり残されておらず、詳細もよくわからない戦国女性ですが、実在したのは確かで、織田信長の側室の中でも特に寵愛を受けた女性といわれています。
だからこれは私の仮説ですが、かなりの美女(美人)だったのではないのかな?と思うわけです。肖像画などが残っていないのが残念ですけどね。江南市は城址や武将ゆかりの地も多くあるので、それらをセットにするとまるっと1日楽しめると思います。