江南市の宮後(みやうしろ)城址は、豊臣秀吉(木下藤吉郎秀吉/羽柴秀吉)に仕えた蜂須賀小六正勝の息子・蜂須賀家政の生誕地です。
※宮後の読みは みやうしろ
■宮後城の住所■
江南市宮後町58
目次
宮後城の縄張り
現地案内看板を横にして北を上にすると現状の住宅地図と合います。宮後城址で見ておきたいポイントは次のとおりです
・宮後城の碑
・宮後城の看板
・宮後八幡社の石塁
・宮後城の高低差
蜂須賀家政の石碑
宮後城址は県道64号線(一宮犬山線)で分断されています。まずは北側の民家前に建つ蜂須賀家政公誕生之地石碑と看板。
蜂須賀家政は初代・阿波藩主で徳島県では有名な戦国大名です。
余談ですが徳島城が完成した時、領民に『今日はめでたい日なので一晩好きに踊って良い』と触れを出した事から阿波おどりができたという説があります。そう考えると阿波おどりは蜂須賀家政がキッカケだったのですね。
宮後城の碑
後の見どころは県道64号線(一宮犬山線)の南側。まずは県道沿いに建つ宮後城跡の碑。背後は空き地になっています。
看板
宮後城跡の碑の様に細い道があるのでそのまま歩いていくと、宮後城跡の看板が建っています。
個人的に印象的だったのが宮後城跡の推定される当時の様子、つまりこんな縄張りでしたという図ですね。
土豪の居館周辺を堀と土塁で取り囲んだタイプの館城(やかたじろ)です。あとポイントは東(下)に流れる川。これを天然の堀として活用していたのでしょう。
この川は現在でも残っています。川の名前は分かりません。今では細い川ですが、周辺を見ると細い地形が広がっており、かつてはもっと川幅も広かったのではと思います。
川から宮後城跡方面を見ると地形が上がっています。この高低差も城跡を偲ぶポイントのひとつです。
宮後八幡社
宮後城跡の南にある宮後八幡社まで城の範囲でした。現地の説明板によると、宮後八幡社にある石塁は宮後城時代の石塁とのこと。敵の侵入を防ぐ土塁を石で固めた様なものですね。これも見ておきましょう。
所要時間と私の感想
宮後城の所要時間ですが、宮後八幡社までセットにしても長くて約30分です。
あと私の宮後城跡の感想ですが、天守など無い地方の土豪クラスの館城ではありますが、有名な蜂須賀家政の生誕地ということで、チェックしておいたほうが良いと思いました。
あと看板だけではなく、1歩踏み込んで東側を流れる川の高低差や宮後八幡社の石塁などもセットにすると、城巡りの満足度も上がると思います。