小豆坂合戦の戦死者を供養したといわれる岡崎市竜泉寺町の柄栗塚

岡崎市竜泉寺町の田んぼ脇にこんもりとした塚があります。地元では小豆坂合戦で亡くなった方を埋葬した柄栗塚(からくりづか)と呼ばれています。

■柄栗塚の住所■

岡崎市竜泉寺町前田12−2

>>柄栗塚の場所の地図

小豆坂の戦いとは?

小豆坂の戦い(あずきざかのたたかい)とは、岡崎城に近い三河国額田郡小豆坂で起きた合戦。今川・松平連合と、尾張の織田が天文十一年(1542)と天文十七年(1548)の2回にわたり戦いました。合戦の内容、また戦後の各氏の関係など謎も多い小豆坂合戦ですが、現在の岡崎市戸崎町に小豆坂古戦場の石碑が建立されています。

>>小豆坂古戦場レビュー記事

そして柄栗塚

現地の案内看板を見てみると小豆坂の戦いで亡くなった人を供養した塚とありますが、小豆坂古戦場はここから直線距離で北西に2km離れています。少し距離がありますね。

ではなぜここに小豆坂合戦の戦死者を供養した塚があるのか?これは私の仮説ですが、敗走する兵がこの辺りで大量に討たれた。または落ち武者狩りで亡くなった方を葬ったという理由ではないかと思います。

その根拠なのですが、永禄三年(1560)の桶狭間合戦の時、今川義元が討たれ今川軍の敗走が始まる訳ですが、古戦場から東へ約2kmあたりの豊明市前後町(名鉄・前後駅があるとこ)まで落ち武者狩りの追撃戦が行われたといわれています。勝った側にしてみれば、敵兵の首は褒美をもらえる手柄になるわけですから、必死で追撃したのでしょう。

低い田んぼ側から見ると石垣に囲まれた塚だったことがわかります。私の柄栗塚の感想ですが、名もなき兵を供養した塚だと思いますが、これも合戦の名残りだと思います。また小豆坂の戦いは全国的に有名ですが、地元には郷土史レベルの史跡が残されているものなのですね。

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