徳川家康に異母兄弟がいた!岡崎市広忠寺に残る松平忠政と穎新の墓

岡崎市桑谷町の広忠寺は徳川家康の父・松平広忠の菩提寺です。松平広忠の墓所は同じ岡崎市の松應寺ですが、この広忠寺はちょっと訳ありの菩提寺。その訳というのは、徳川家康の異母弟の僧が開山した寺だからです。

■広忠寺の場所の住所■

岡崎市桑谷町字堀切29

>>広忠寺の場所の地図

その訳とは?

広忠寺と地元に伝わるハナシは以下の通りです。家康の父である松平広忠には於久の方(大給松平家・松平乗正の娘)という側室がおり、天分十年(1541)に勘六という男の子を産みます。これが後の松平忠政です。

しかし水野氏の娘・於大を正室と迎えることになり、於久の方は勘六と額田郡桑谷村へ移ります。そして翌年、天文十一年(1542)に男の子を産みますが、これが広忠寺開山の僧となる恵最(えさい)です。※法名で穎新(えいしん)または恵新(けいしん)とも

恵最が生まれたのは徳川家康と同年同日である、天文十一年(1542)12月26日といわれています。

家康がお久の方、忠政、恵最にはじめて会ったのは桶狭間合戦からの2年後・永禄五年(1562)。この時、於久の方は松平広忠の菩提を弔うために家康に寺の建立を願います。そこで僧となっていた恵最を初代住職とし、広忠の名前から広忠寺を建立したといわれています。

そして現地

広忠寺にやってきました!境内奥に墓地への入り口があり、ここから入ります。

岡崎観光文化百選にも選ばれている広忠寺。

広忠寺(廣忠寺)開山の恵最の墓もあります。

墓地奥にある、松平広忠、松平忠政、そして於久の方の墓です。こう3つ並べてみると親子の墓ですね。

門前にも見どころが!

広忠寺の門前には野辺地蔵があります。これは広忠寺の前を通る道路がかつての街道で、往来する人々の信仰になったお地蔵さんです。

↑かつての街道。現在の岡崎市~蒲郡市を結ぶ県道です。

さて、広忠寺の所要時間は、基本、墓地に参拝するだけなので写真を撮っても5~10分くらいでしょう。私の感想ですが松平忠政、そして恵最は徳川家康の異母兄弟として、現在は議論中ですが、今後、有力説が出るかもしれません。忠政の墓は同じ岡崎市の法蔵寺にもありますが、ここも縁の地ですね。

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