蒲郡市竹谷町犬飼港に残る犬飼湊跡は、平安時代に開かれた港で、戦国時代に徳川家康(竹千代)が駿府に人質として送られる時に船出をしたといわれている場所です。
■犬飼湊跡の住所■
蒲郡市栄町18
平安時代から港
犬飼湊は平安時代に藤原俊成(ふじわらのとしなり:しゅんぜい)の開発した、竹谷、蒲形両荘の海岸にあって、古くから三河湾沿岸における港のひとつとして栄えていました。
藤原俊成とは
藤原俊成(としなり:しゅんぜい)とは、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて活躍した歌人であり、三河国の国司。竹谷荘、蒲形荘を開発し、現在の蒲郡市の礎を築いた人物です。竹島に銅像が建っています。
その後犬飼湊は…
戦国時代になると松平三代・信光がその子・守家を竹谷の城主として配置するのですが、その理由は、この犬飼港を押えるためではなかったかと推測されています。
また徳川家康が六歳の時に人質として駿河に送られるということがあったのですが、その時、西郡から船に乗ったとあります。その場所もこの犬飼湊ではなかったかといわれているのです。江戸時代には三河五港の一つに定められており、蟶(まて)、松菜の産地と記録されています。
そして現地
かつては海沿いの港だったのでしょうけど、現在では埋め立てられて住宅地になっています。個人宅の前に犬飼湊の石碑があります。私の感想ですが、今では内陸になっていますが、かつてはここに三河屈指の大きな港があったと思うと、蒲郡が恵まれた場所だったというのもうなずけると思いました。
現在では犬飼湊周辺は埋め立てられていますが、少し行けば三河湾の景色が広がっています。今では犬飼湊はもう無く石碑しかありませんが、これもかつての湊を偲ぶ史跡のひとつですね。