愛知県蒲郡(がまごおり)市に、福島正則が名古屋城築城時に石垣の石を切り出した場所があります。それが西浦海岸です。蒲郡市は東三河地方なので、名古屋城は同じ愛知県内とはいえ、昔の国でいうと隣の国なんですね。よくこんな所から石を運んだな~と感心しきりです。ではそんな西浦海岸の詳細をチェックしてみましょう!
採石地へのアクセス方法
福島正則が名古屋城の石垣の石を切り出した採石地跡への行き方を説明します。車だと非常に便利。まずは西浦海岸の無料駐車場に移動します。
駐車場の向かい側に松島遊歩道があるので、そこから海に降りていきます。
海まで降りてくると恵比須様の像があるので、海に向かって左側の遊歩道を進みます。ちなみに反対側の右側は恵比須橋になっており、この橋と逆に進んでください。
すると遊歩道が上り坂になっています。この坂の中腹くらいに福島正則採石地跡の看板があります。恵比須様の像から100mもないです。
現地看板
現地看板には三河湾に残る複数の大名家の採石地についての説明があります。これを見ると福島正則のほか、毛利秀就(毛利本家)、池田輝政、田中忠政、加藤清正らが名古屋城の石垣を三河湾沿岸で切り出したことがわかります。
今回訪れた蒲郡市の西浦海岸は福島正則の石切場ということが平成十六年に判明しています。
未だに残る刻印跡
看板を見つけて海の方を見ると、矢穴が付いた石があります。この石が福島正則の刻印石です。矢穴は大きく残っているので、看板まで来れ分かると思います。また潮が引いている時は、矢穴石近くまで行くこともできます。
刻印石をよく見ると…【井】の文字がうっすら確認できますね。
こちらは別の場所。ココも何とか読めるレベルです。ちなみに刻印が付いた石はこの矢穴石だけではなく、周辺にも点在しています。でも潮が満ちている時は海の中なので、引いた時にチェックしてみましょう。
私の感想
私の福島正則採石地跡の感想ですが、比較的行きやすい海岸線に残っており、車だと楽に来ることができました。また老朽化が進んでいますが現地看板もあり、刻印石の事が非常にわかりやすく書いてあります。
ちなみに西浦海岸を含む三河湾では、良質の石が採掘できる場所として有名で、名古屋城の石垣の石もココのほかに数カ所あるんです。
また加藤清正は三河湾にポッカリ浮かぶ篠島(しのじま)から石を切り出していることも分かっており、篠島には清正の石切場と矢穴石が残っています。
採石地跡を見るだけなら、所要時間は15分くらいなので、近くの史跡や城跡、または観光地とセットにするのがオススメです。