豊川市瀬木城址は牧野成時(牧野古白)が牧野城につぐ居城として築いた城

豊川市瀬木町の瀬木城址は牧野成時(しげとき:牧野古白)が牧野城につぐ居城として築いた牧野氏の城跡です。現在では神明社になっています。

■瀬木城址の住所■

豊川市瀬木町郷中

>>瀬木城址の場所の地図

まずは看板

 瀬木城跡

 瀬木城は、明応二年(1493)に牧野成時(しげとき:牧野古白)が牧野城につぐ居城として、また、上郷(河岸段丘上の古宿牛久保)進出の拠点として築城したものです。

 左の古図でみると、当時は豊川が城の東側を流れており、牧野城と瀬木城は豊川の本流によって強く結びついていました。

 本丸と思われるところは一段高くなっており、現在神明社が祀られています。その周辺には高い土塁、広く深い堀が残っており、牧野城よりも近世的要素をもった掻揚城(かきあげじろ)でした。

 成時は、間もなく一色城に進出し、牧野城に長男能成(よししげ)を、瀬木城には二男成勝(しげかつ)を配しました。その後、城主成勝は一色城に移り、また豊川の流路も変わったこともあって廃城となりました。

 豊川市教育委員会

古地図を見てみる

瀬木城址の案内看板にあった浅野文庫蔵諸国古城之図に描かれた瀬木城址の古絵図。豊川市教育委員会の解説には城の東を豊川が流れていたとのことなので、この古絵図だと向かって左側が東です。現在は豊川の流れが変わっており、瀬木城址のもっと南側を流れています。

そして城

では早速、散策してみます。瀬木城址は神明社になっていますが、鳥居の両側には土塁が残っています。

神明社のある場所が本丸とのことなので、イキナリ本丸なのですが、社殿の後ろにも土塁がありました。

すると今度は社殿のすぐ隣が深い堀になっています。現在は竹藪ですが本丸から見ると低い場所にあることが分かります。

社殿奥にあった謎の高台。一見すると櫓台もしくは物見台みたいにインパクトがある高台ですが、浅野文庫蔵諸国古城之図の古絵図には描かれていません。ということは土塁の一部なのかもしれません。

瀬木城址を抜けると堤防がありますが、その東が低くなっています。ここがかつて豊川が流れていた場所なのでしょう。現在は畑地です。瀬木城址の所要時間は約30分ほどでした。私の感想ですが、古絵図の様子がよく残っており、現地看板と照らし合わせて巡ると楽しめます。豊川市の城跡でもオススメの一城です。

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