豊川市(旧音羽町)に城巡りファンが喜びそうな山城があります。それが岩略寺城です。
※岩略寺の読みは(がんりゃくじ)
岩略寺城の歴史について。まず築城時期はハッキリ分かっていませんが、一説によると 文安年間(1444~49)駿河の今川氏の一族・関口氏によって築かれた城といわれています。
しばらくして西三河に勢力を拡大していた松平信光が長禄二(1458)に奪い取り、長男親則に城を与えます。この親則が地名から長沢松平氏を名乗り、初代となるワケです。その後、今川氏と松平氏で取り合いが続きますが、永禄三年(1560)の桶狭間合戦後は松平氏(徳川氏)のものとなりました。
さて、そんな岩略寺城ですが、廃城となった現在でもかつての城内は見どころがたくさんありますのでアクセス方法と合わせてチェックしてみましょう!
電車でのアクセス方法
電車での行き方を説明します。電車でアクセスする場合は、最寄り駅の名電長沢駅で降り、ココから歩いて岩略寺城を目指します。徒歩の所要時間は約30分くらいです。駅を降りてからの行き方ですが、駅を出てまっすぐ道なりに歩き、そのまま国道1号線を横断し、また道なりにまっすぐ歩きます。
すると豊川市の岩略寺城跡の看板も出てきますので、まっすぐに道なりに歩きましょう。
山の中、林道みたいな道になりそのまま進むと…鉄柵があります。まさかの通行禁止か?!と思いきや、大丈夫!実はこれ、猪が侵入しないための鉄柵なのです。通行のため鉄柵を開けることはOK。ただし通行後は速やかに扉を閉鎖しなければなりません。ちなみに車もこの道を通ります。
そして岩略寺城の駐車場。車で来た時にはここに車を停めて城内に向かいます。
そして城内
駐車場に岩略寺城の縄張図(なわばりず)の看板があります。これが岩略寺城の全体的な地図。この縄張図をもとに城内を巡ってみましょう。
まず最初にあるのが堀切。山の尾根を遮断した堀です。
これは三日月(みかづき)堀。三日月の形をした半円形の堀です。現在は数百年の経過で埋まっていますが、当時はもっと深かったのでしょう。
井戸跡。現在水は枯れています。城に井戸は必須のもので、これは山城だけではなく、平城や平山城にもいえることです。なぜかというと、人は水さえあれば数週間何も食べなくても生きるといわれていますが、水が無いと数日間しか生きられないといいます。つまり籠城戦にも水は必ず必要なものなのです。岩略寺城には複数の井戸跡が残っています。
本曲輪(本丸)。策平地になっており、もし籠城戦になると通常はココに重要人物(城主や家老)などが籠って指揮を執ります。本曲輪周辺には土塁も残っています。
城内の曲輪下にも降りてみます。すると人工的に角度を付けるために削った切岸(きりぎし)が曲輪の斜面にある事に気が付きます。そして曲輪の高低差んまど、甲冑(具足)を着て登るのはかなり難しいと感じますね。
私の感想
私の岩略寺城の感想ですが、数百年前の遺構がよく残り、また現地に案内看板や碑が建っているのでわかりやすく楽しめる城だと思います。しかし純粋に山の中なので、夏は生い茂っており、虫もいると思いますので、できれば雪が降っていない冬に訪れるのがオススメです。
ちなみに3月くらい春になると、今度は花粉が飛び散りますので、短いシーズンではありますが、冬に登ってみましょう。岩略寺城の所要時間は約30分ほどです。