愛知県蒲郡(がまごおり)市の形原城は、形原松平氏発祥の地で、その拠点・形原城跡が残っています。
■形原城跡の場所の住所■
蒲郡市形原町東古城38−2
形原松平市は江戸時代、各地を転封し幕末まで存続しました。藩主となったのは以下の通り。
- 上総国五井藩
- 摂津国高槻藩
- 下総国佐倉藩
- 丹波国篠山藩
- 丹波亀山藩
そんな形原松平氏発祥の地が愛知県蒲郡市であり、初期の拠点が形原城です。
安祥城(安城市)の説明板より。形原松平市は松平宗家(そうけ)三代・松平信光の五男・与副(ともすけ)を祖とする家系。
※宗家(そうけ):現在の言葉で分かりやすくいうと一族を束ねるリーダー家のこと
ではその形原城は現在どうなっているのか?実際に行ってみたのでレビューしてみたいと思います。
形原城跡の中心部は少し小高い丘の上に建つ古城稲荷社になっています。現在残る縄張りは曲輪が2つほど残っているのみ。
二の丸?から北側を見渡した風景。入り江になっています。形原城主は水軍をもっていたと考えられますので、かつては目の前の海で水軍の調練(訓練)もしていたのでしょうか?
古城稲荷の鳥居。『古城』が城跡を偲ばせますね。
城内にある、お妙塚。五代当主・松平家忠の息子、又七郎(後の六代・家信)が十三歳の頃、敵方の刺客の襲われそうになった事がありました。
又七郎の乳母・お妙が身を挺して守り、又七郎は助かりましたが、お妙は亡くなります。
お妙の亡骸は城内ゆかりの場所に手厚く葬られ、墓標として桜の木が植えられました。そのお妙を顕彰するための塚なのでしょう。
塚の近くに桜の木が1本有りましたが…これがお妙桜でしょうか?
本丸と思われる一番高い場所には古城稲荷社があり、形原城址の石碑も有りました。ココからは木が生い茂っており、周辺の景色はあまり見えません。
私の感想ですが、形原城跡はこじんまりとしててあまり見るものもなく、所要時間は20分もあれば一通り見る事ができると思いました。
あと地図を見ると形原城の周辺に城郭関連地名が多く残っています。
城郭関連地名とは、分かりやすくいうと城ゆかりの地名(字名とか)。
形原城の例ですと、周辺の住宅地に北古城、東古城、南古城などがあり、かつて城域だったのではないかと思われます。また北馬場、南馬場は馬の訓練場だったのでしょうか。