豊川市御津町の竹本城址は戦国時代に今川氏についていた竹本氏の居城跡です。現地看板には以下のように説明があります。
新田義貞の臣に、高田薩摩守という豪傑がおり、その次男・又次郎正季(またじろう まさすえ)がここに居を構えた。政季は後に竹本と氏を改めた。その後、竹本四郎左衛門成久の代に、主家今川義元が桶狭間で敗死したのを機として、為当村に帰農したという。
早川彦右衛門の宝飯郡誌によれば、天正時代(1573~92)この付近は長沢松平の領であり、家臣の山田長門守が居城した。徳川家康の第六子忠輝が長沢松平をついだが、罪を得て流罪となり、刑地にて死亡したので、山田父子は殉死したという。城跡には姫杉という杉の古木があったが、昭和四十二年に枯死し二代目が植樹されている。
豊川市教育委員会
地形が楽しめる城址
竹本氏は何も無いように見えますが、地形が楽しめる城です。まず東南側に向けて突き出た台地みたいな場所の先端にあることがわかります。
南に向かうとその先は、かつての湿地帯を想わせる田んぼになっていました。
これは東北側から見た竹本城址。東北側も低くなっているというか、竹本城址がある場所が高台になっている様子がよくわかります。
土塁も残っている
竹本城址は先端が神社、道路を挟んだ向かいが住宅地ですが、その奥に土塁跡が残っています。この土塁は愛知県教育委員会発行の愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ東三河にも記載があるので、当時のものでしょう。
所要時間と私の感想
竹本城址の所要時間は周辺をぐるっと周って写真を撮ったので約20分。私の感想ですが、城主の竹本氏は桶狭間の戦い後、今川氏の勢力が衰えて松平につかず帰農したことを見ると、この竹本城も松平に奪われたのかもしれません。地形を楽しむ城で郷土史レベルの歴史ではありますが、土塁も残っているので見ごたえはあります。