蒲郡市上ノ郷鵜殿家の菩提寺・長応寺(正行院)と下ノ郷鵜殿家の長存寺

戦国時代に現在の蒲郡市に勢力を持っていた鵜殿氏一族の菩提寺を調べてみました。鵜殿氏には本家・上ノ郷鵜殿家といくつかの分家があります。まずは本家・上ノ郷鵜殿家の菩提寺は長応寺でしたが、上ノ郷城が落城した時に燃えてしまいました。その跡に建つのが正行院です。

>>正行院の地図

上ノ郷城鵜殿家の菩提寺

正行院の墓所には上ノ郷城鵜殿一族ノ霊碑(かみのごうじょう うどのいちぞくのれいひ)と刻まれた墓碑があります。松平元康の上ノ郷城攻めで落城し、多くの方々が亡くなったのでしょう。

鵜殿長照の墓所

正行院から少し離れた場所にある鵜殿長照の墓所。上ノ郷城が攻められた時の城主です。令和五年(2023)のNHK大河ドラマ・どうする家康では俳優の野間口徹さんが演じました。

>>鵜殿長照の墓所の地図

周辺の地名が分かりやすい!

ところで上ノ郷城、正行院を含む周辺の字名(あざめい)は、かつての様子がわかりやすく残っています。この地名もまた歴史です。

【東門前、西門前】
長応寺時代の門前町。長応寺は七堂伽藍と多くの坊を持った寺で、その門前にあった町

【殿市場、下市場】
鵜殿氏が栄えていたときは5~10の市が立ったという。

【麻畑】
赤曳絲(あかひきのいと:伊勢神宮に奉納する赤みを帯びたツヤのある糸)を生産していたといわれる。

【矢倉場】
矢を収納する倉、もしくは櫓(やぐら)があった場所かもしれない。

下ノ郷鵜殿家の菩提寺

下ノ郷鵜殿氏の菩提寺は蒲郡市上本町の長存寺(ちょうぞんじ)です。墓地に供養塔が建立されています。

>>長存寺の地図

もとは実相坊という天台宗の寺院でしたが、文安二年(1445)法華宗に改宗。永正十五年(1518)に下ノ郷鵜殿氏の鵜殿長存が帰依。長存の死後、長存寺と改称されたといわれています。

墓碑には鵜殿家の家紋・丸に三つ石紋が施されていました。

下ノ郷城址はどこ?

下ノ郷鵜殿家の居城である下ノ郷城は江戸時代に蒲形陣屋が築かれて、遺構は全く残っていませんが、名残りといわれる地名が残っています。それが本町の東廓です。廓=曲輪ということでしょうか。

また西廓という地名も残り、こちらは公民館になっています。下ノ郷城跡を偲ぶものはこれくらいしかありませんが、やはり地名って大事です。

私の感想

私の鵜殿家の菩提寺の感想ですが、地元蒲郡にはその痕跡がチラホラ残っているのが郷土史的で興味深かったです。大河ドラマ・どうする家康で取り上げられた後、鵜殿氏にも興味をもつ人も増えた感がします。今回紹介した正行院。長存寺は上ノ郷城とセットでじっくり歩いて巡りたい史跡のひとつです。

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