豊川市の御馬(おんま)城址は鎌倉時代に築城され、江戸時代には長沢松平氏の城にもなった史跡です。豊川市教育委員会の現地説明看板は以下の通り。
応安二年(1369)将軍足利義満が細川頼之(よりゆき)に命じ、頼之はさらに細川頼有(よりあり)に命じて築城させたものである。永享、享徳(1429~54)のころ細川治部大輔政信がおり、後にその外戚の酒部河内守時重が居城したが、文明年間(1469~87)今川義忠に謀られ、城を捨てて逃走した。
その後、久しく荒廃していたが、寛永年間(1624~44)に長沢松平の庶流である松平浄感が居館としていたが、寛永十一年(1634)浄感の主君・松平定綱が桑名に転じたので、やがてここを去り、その後利用するものもなく宝永元年(1704)に至って塁を崩して耕地となった。
豊川市教育委員会
地形を見てみる
現在の御馬城址は東海道新幹線の高架下に石碑と看板があるだけで、他には何もありません。そこで明治時代の古地図と現代地図で比較してみましょう。
海岸線はほぼ同じで、海辺にあった城というのがわかります。この例ですと港や船着き場を支配していた城だったのではないかと思います。その根拠は明治31年(1898)の古地図を見てみると、御馬城の近くに街道みたいな道が通っているからです。
私の感想ですが、何も無い城址でも石碑と看板があると、地元の城を多くの方に知らせることができ、また城巡りしている人もそれを目標に訪れることができるので有り難いです。