今川氏真が包囲し松平元康が救った一宮の後詰めとは?豊川市一宮砦

豊川市(旧宝飯郡一宮町)の一宮砦は、永禄三年(1560)の桶狭間合戦後、今川氏真と松平元康(徳川家康)の攻防戦があった場所です。

>>一宮砦跡の地図

豊川市指定史跡 一宮砦跡

桶狭間の戦い(1560)以後、松平氏と今川氏の間で、三河攻防が激しくなりました。永禄年間(1558~69)、今川氏真は牛久保城に着陣して、松平方の本多信俊等が守る一宮砦を大軍で包囲しました。

松平元康(徳川家康)は、小勢でその攻囲を突破し、砦を救援しました。これは。家康の武勇談のひとつとして『一宮の後詰(いちみやのごづめ)』と呼ばれています。

砦跡は、豊川の流れを望む段丘端に位置し、砦の中心部分を囲む土塁や堀、防御に適した出入口の様子などがよくわかります。

平成一五年二月十日 豊川市教育委員会

今川氏真は桶狭間合戦後、蹴鞠ばかりして今川家を没落させたというイメージがあります。でも実際には独立した松平元康を容認しないためか、東三河(愛知県東部)に何回も出兵していたのです(その都度押し返されていましたが…)

天然の地形

まずは一宮砦の地形と名称から。東を豊川(とよがわ)という大河が流れており、東側からの攻撃は困難です。北と南に堀があり西側が唯一の平地なのですが、枡形虎口でこれを固めています。名称については三河一宮である砥鹿神社(とがじんじゃ)の近くにあるのでこの名前が付いたといわれています。

そして遺構

入口の枡形虎口(ますがたこぐち)。ロの字になっており、突き当たったところに門があって、それを破壊している時に横や前から攻撃されるという、袋のネズミ状態になる防御の工夫です。

南の堀跡。向かって左側が一宮砦で右側は畑地。もしかすると右側も曲輪だったのかもしれません。そう考えると曲輪間の堀です。

特筆は北側の大堀。手掘りではなく自然地形では?と思うくらいの広いものでした。この大堀の向こう側に砥鹿神社があるので、砥鹿神社を守るための大堀かな?とも思えます。

一宮砦の東側はかつての豊川ですが、現在ではその大部分が埋め立てられており畑地になっています。

所要時間と私の感想

一宮砦の所要時間は約15分。私の感想ですが、一宮砦は堀や城内の土塁の保存状態も良いのですが、特に枡形虎口は小規模なれど見応えがありました。あと徒歩圏内に砥鹿神社もあるので、セットで参拝するのもよいでしょう。

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