岡崎市井ノ口砦跡は額田郡一揆(ぬかたごおり いっき)において一揆方の拠点になった場所です。現在は岡崎市消防本部 中消防署北分署近くの稲荷神社になっています。
額田郡一揆とは
額田郡一揆(ぬかたごおり いっき)とは室町時代の寛正六年(1465)に三河国額田郡(岡崎市)で起こった元室町幕府奉公衆、元足利将軍家被官衆といわれる武士団が室町幕府に対して起こした反乱です。その一揆方が立て籠もったのが井ノ口砦でした。
地形をチェック!
まず現地に着いて気になったのが井ノ口砦の地形。古地図散歩~時代を重ねるマップ~で井ノ口砦周辺の地形を確認してみます。すると舌状台地(ぜつじょうだいち)みたいにとがった台地の先端に砦があったことが分かります。
井ノ口砦跡周辺は住宅地になっていますが、それでも県道を見ていると低い地形です。つまり台地の上から大地の下を見下ろしている景色ということ。
そのまま台地を下りて稲荷神社周辺を周ってみます。北に向かって下がっており、稲荷神社を取り巻くように水路が流れています。これは自然地形だとするとかつての堀みたいに見えます。この高低差も砦跡の醍醐味のひとつです。
発掘調査では
かつて井ノ口砦周辺で発掘調査が行われており、その時の出土品などの場所を示した地図が本丸の稲荷神社にありました。環濠(堀跡か)もあって、古くから人の生活?籠城?の様子も想像できます。
井ノ口砦の所要時間は約20分。私の感想ですが井ノ口砦は舌状台地の地形や高低差が分かりやすい砦跡だと思いました。額田郡一揆は松平三代・松平信光の時代の出来事ですが、結果的に松平氏の力を強めることになったと思います。