秀吉に学ぶ憎い相手の対処法!榊原康政と10万石の檄文の逸話

豊臣秀吉は人の心を『グッ!』と掴む事が得意な武将でした。そんな秀吉は、かつて怒り心頭した相手を憎み続けず、逆に褒め称え、機転を利かせたエピソードがあります。

この話は織田信長が本能寺の変で倒れた2年後の天正十二年(1584)年にさかのぼります。

十万石の檄文

本能寺の変後、秀吉(この頃は羽柴)と徳川家康が戦った事がありました。小牧長久手の戦いです。この時、徳川家康の家臣・榊原康政は敵味方に秀吉を非難する檄文(げきぶん)をたくさん送ります。要約すると以下の様な内容です。

羽柴秀吉は低い身分だったが、織田信長公に可愛がられ将になった。でもその恩を忘れて信長公の息子を殺したり、兵を向けたりしている。あまりにもひどい行いだ。私の主君・家康は信長公と親しく、信義を重んじて信雄公(信長の息子)を助けるために決起したのだ。

秀吉はこれに怒り狂い、『榊原康政の首を取ったものに10万石の領地を与える!』と諸将に告げました。しかし榊原康政も戦上手で誰もその首を取ることができなかったのです。これが世にいう榊原康政の10万石の檄文です。

10万石ってどのくらいの価値なのか?
江戸時代の例だと一般的に1石=金1両=約10万円くらいです。なのでざっくりですが10万石とは年収約100億円の土地のこと。

憎んだ相手を褒め称える

小牧長久手の戦いは和睦(わぼく:とりあえずの仲直り)になりました。そこで秀吉は榊原康政を使者として私のところ来させてほしいと徳川家康にお願いしたのです。徳川家康は秀吉の性格を知っているので、榊原康政をあえて使者にして上洛させました。

榊原康政に対面した秀吉は上機嫌。秀吉は相手を挑発する上手な檄文を書いた知的な武将だと康政を褒め、あなたの様な家臣がいる家康が羨ましいと言い、私も康政を『小平太』と呼んでよいかなどベタ褒めします。

さらに『その功を賞して、朝廷にお願いして従五位下・式部大輔の官位を贈ろう』と言い、さらに康政のために祝宴まで開きました。

秀吉に学ぶポイント

この逸話から学べることは次のポイントだと思います。

  • 腹が立つ事でも相手を褒める材料にして感謝させる
  • 周囲に自分の度量の広さを示す

榊原康政もあれだけカンカンに怒らせたにも関わらず、許すどころか褒め称えてくれる秀吉に対して、悪くは思いません。もしかすると恩義を感じるかも。

そして多くの家臣を持つ秀吉も、檄文で悪口を言われてもその相手を歓迎するという懐(ふところ)の広さを示せます。(ハラの中ではどう思っているのか分かりませんが…)

結論からいうと、感情的に怒りっぱなしになるより、この様に対応したほうがメリット(利点)が多いということです。

これは現在でも通用する処世術だと思います。

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