名鉄富士松駅の地名の由来は桶狭間の戦いだったその内容とは

愛知県刈谷市今川町に名鉄・富士松駅(ふじまつえき)があります。場所的には刈谷市立富士松南小学校、刈谷市立富士松南保育園、幼稚園の近くです。

この富士松の由来はなんと永禄三年(1560)の桶狭間の戦いがキッカケでできた地名でした。その由来を説明します。

悲劇の旅人

富士松駅の前に刈谷市教育委員会のお富士松の説明板があります。それを要訳すると以下の通りです。

・桶狭間合戦後、今川勢が旅人を織田のまわし者と勘違いし殺害

・村人が哀れんで墓を作り松を植えた

・これが富士松の地名のゆらい

※ちなみに現在より南東に200mの場所にあり、伊勢湾台風(昭和三十四年:1959)で枯れてしまい新たに植えられた

お富士松は富士松駅の前にありますが、これは三代目だとも。私の感想ですが、桶狭間の戦いといえば名古屋市緑区、豊明市だけの話という感じがします。

しかし周辺の大府市、東海市、刈谷市には桶狭間合戦ゆかりの話が点在しており、合戦が広範囲、そして影響も広い範囲に及んだことが分かります。

目の前は東海道

名鉄富士松駅のすぐ近くを江戸時代の東海道が通っています。江戸時代に整備された街道はゼロから作られておらず、何かの街道を整備拡張して作られています。ここも戦国時代、何かの街道があったのでしょうね。

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