知立市八ツ橋町の業平塚は平安時代の人物・在原業平の墓とも、供養塔ともいわれる塚です。
無量壽寺(むりょうじゅじ)によると、在原業平が亡くなった後に分骨し、寛平四年(892)にこの地に塚を築いたそうです。
また塔は室町時代(1336~1573)の特徴が見られるとのことなので、塔の部分だけ後に建立したのでしょう。
■業平塚の場所の住所■
知立市八橋町薬師52−6
江戸時代にはすでに有名
業平塚のすぐ隣には在原業平朝臣墓所という石碑が建立されています。この業平塚は江戸時代初期の大日本五道中図屏風にも描かれており、江戸時代の初期にはすでに名所、旧跡として有名になっていたみたいです。
業平塚の近くの地名、八橋町五輪。これは業平塚の五輪塔から付いた地名(字名)なのでしょう。
在原寺
在原寺(ざいげんじ)は寛平年間(889~97)に業平塚が築かれた時、塚を守る人の御堂として創建されたと伝えられています。現在は臨済宗妙心寺派の寺院。
業平塚と同じ鎌倉街道沿いにあり、約200mくらいしか離れていないので、ここもセットで訪れてみるのもよいでしょう。
在原寺の読みは ざいげんじ
在原寺の場所の住所
知立市八橋町高道8−1
私の感想
私の業平塚の感想ですが、江戸時代初期の絵図に描かれている名所、旧跡で鎌倉街道も楽しめるスポットなので、ここもオススメです。
また戦国時代の永禄三年(1560)、桶狭間に進軍する今川義元は鎌倉街道を通ったと考えられているので、もしかすると今川義元も業平塚を参拝したのかもしれません。
そう考えると、在原業平と戦国時代が繋がりますので楽しいです。