愛知県犬山市の尾張楽田城跡は、永正年間(1504~21)に当時の尾張守護代・織田久長が築城したと伝わる城で、小牧長久手合戦では羽柴秀吉が本陣を置いた城です。
■楽田城跡の場所の住所■
犬山市城山48
現在は犬山市立楽田小学校になっている楽田城跡。遺構も無く小学校の前に石碑が建っているだけか~と思いきや、チェックしておきたいポイントがいくつかあるのでまとめてみました。
高低差
まずは楽田小学校の高低差から。小学校は周辺より2~3mほど高くなっています。これはもともとの高低差といわれ、楽田城の名残でもありますね。
ここでのポイントは、小学校周辺をぐるっと周ってみることです。すると高台の規模、つまり楽田城の主郭の規模も分かるということです。
堀跡
楽田小学校の北側の道は、かつての内堀跡と伝わる場所です。現在では埋め立てられて普通に道になっています。堀幅=道幅というワケではないのでしょう。
曲輪跡
楽田城の石碑から東北に100mほど離れたところに須賀神社がありますが、神社の石碑の側面を見ると、史蹟楽田城小城址という文字が掘ってあります。この事から、須賀神社があった場所は楽田城の曲輪跡だった場所といわれています。
須賀神社自体も周辺の道路より高台に築かれています。またこの高低差は楽田城の高さとほぼ同じなので、曲輪の一部だったのでしょう。
ところでこの須賀神社は楽田小学校から見ると、先ほど説明した堀跡の向こう側にあることから単なる曲輪ではなく、城外にあった出曲輪、つまり出丸跡ではないかという指摘がありますが、私はそうは思いません。
なぜかというと、この須賀神社の外側に楽田城の門跡が2つもあるからです。
北門跡
楽田城の北門跡が犬山市横町にあります。現在では門跡はありませんが、北門跡を示す石碑が2つ建っています。
裏門跡
楽田城の裏門があった場所を示す石碑が、字裏之門に建っています。ここの石碑は電柱の側にあって分かりにくいです。
伝移築門
楽田城の裏門と伝わる門が犬山市北大門30にある常福寺にあります。入り口にある門ではなく2番目の門、つまり山門が楽田城の裏門を移築したものと伝わります。でも私が見る限り、門自体そんなに古いものではありませんでした。
これは私の感想ですが、城や屋敷の移築門と伝わるものは、長い歴史の中で改修され続けているので全て残っている訳ではなく、一部が残っているというケースも多いです。もしかするとこの楽田城の裏門といわれる門も、門の一部がかつての裏門の部材なのかもしれません。
所要時間と私の感想
楽田城の史跡散策レビュー、いかがでしたか?今説明した楽田小学校周辺、須賀神社、2つの門跡そして伝移築門、これらを全て巡る所要時間は約1時間くらいだと思います。
また私の感想ですが、楽田城自体には城の遺構は残っていませんが、高低差や曲輪跡、そして門跡などを巡ってみると、かつての楽田城の規模が分かるので、城巡りの充実感も上がると思います。
車でまとめて巡るのも良いですが、史蹟間の細かな距離感を体感するなら徒歩で巡るのがオススメです。