国宝・犬山城がある、愛知県犬山市に楽田(がくでん)城という城址があります。この城は天正十二年(1584)年の小牧・長久手合戦で、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が本陣を置いて、小牧山城の徳川家康&織田信雄連合軍と対峙した場所です。
現在では、犬山市立楽田小学校になっており、遺構はちょっとした高低差くらいしか残っていません。しかし、あまり知られていない楽田城の遺構が存在します。それが北門跡と裏門跡です。
実は私はのこの2つの門について、以前からウワサで聞いており、実際に探しに行った体験が2回ほどあるのですが、見つけることができませんでした。しかし今回、3度目の正直で2つの門跡を見つけることができたので、その場所とアクセス方法をあなたとシェアしてみたいと思います。
楽田城北之門旧跡の石碑の場所
まずは楽田城北之門旧跡の石碑。つまり楽田城の北門があった場所ということです。現在は住宅地の中にポツンとある空き地の中に石碑が建っていますが、この画像の石碑は新しいものです。鉄柵があって、その中に入ってみると…
なんと古い石碑も有ります。この2つの石碑をチェックしてみましょう!
ちなみに2つの石碑がある場所の目の前の道路は稲置街道です。これは江戸時代に整備された街道ですが、その原型となる旧街道を楽田城が押さえていたのでしょう。
楽田城裏門旧跡の石碑の場所
次は楽田城裏門旧跡の石碑。裏門というので、搦手口(からめてぐち)があった場所なのでしょう。ここは民間の駐車場の片隅に有るので非常にわかりにくいのですが、電柱のふもとにあるので注意深く探すと発見することができます。
2つの門跡の共通点
今回説明した北之門と裏之門跡の石碑ですが、実は共通点があります。それは2つの門跡とも地名(字名)が残っているという事。
楽田城の北門の石碑は横町にあるのですが、すぐ近くに北之門という字名がありますし、裏門があった場所は、字名が裏之門になっています。現在の住所は、この2つの門跡からできた住所なのでしょう。
私の感想
私の感想ですが、楽田城を巡る時には楽田城の本丸があった犬山市立楽田小学校だけではなく、この2つの門跡もセットで巡るのがオススメだと思いました。その理由は、門跡~門跡の間隔で楽田城を見てみると、かつての楽田城の城域の大きさが想定できるからです。
日本100名城や続100名城などの観光城は、パンフレットや縄張り図もあって城巡りも充実しています。でも、楽田城みたいに歴史的には有名ですが、現在は遺構がほとんど残っていない城跡を散策する場合、今回解説した門跡など地元のローカル的な史跡を絡めないと、かつての規模ですら把握しにくいからです。
私も実際に2つの門跡と楽田小学校を歩いてみて、かつての楽田城の規模を体験できました。この地道な体験こそ、郷土史レベルの城巡りの面白さだと思います。