愛知県丹羽郡大口町にある桂林寺は、堀尾吉晴と堀尾金助、その母の供養塔がある寺です。堀尾吉晴といえば国宝松江城天守の築城に関わった戦国大名ということで、近年注目度が上がっている武将です。その堀尾吉晴の出身地が、現在の丹羽郡大口町なんですね。
■桂林寺の場所の住所■
丹羽郡大口町堀尾跡2丁目16
供養塔は墓地
本堂を越えて墓地へ行くと堀尾吉晴と堀尾金助、その母の供養塔のアクセス看板があります。
三人の供養塔。この供養塔は地元の顕彰会が建立したもので、金助と母の供養塔が昭和46年。堀尾吉晴の供養塔が昭和47年に建てられました。供養塔なので遺骨はありません。
堀尾跡公園
桂林寺の近くにある堀尾跡公園は、堀尾金助と母の逸話を分かりやすく再現した公園です。
■堀尾跡公園の場所の住所■
丹羽郡大口町堀尾跡1丁目50
堀尾金助と母のエピソード
堀尾金助は堀尾吉晴の一族で、天正十八年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めに18歳で初陣として参加しました。しかし討死してしまい、母は金助の供養を続けます。
33回忌の時、息子を最後に見送った熱田(名古屋市熱田区)の橋の架替えを行いますが、完成を見ずして母も亡くなりました。その後、残された養子により橋は完成し、この物語は後世に語り継がれます。
公園内にある裁断橋の親柱(本物)。裁断橋は明治三十七年(1904)に改架されましたが、平成四年に撤去されたので堀尾跡公園に親柱(擬宝珠の下の部分)が移築されました。
大口町と島根県松江市の姉妹都市提携記念樹。松江市の松江城を築いたのが現在の大口町出身の堀尾吉晴ということで、姉妹都市提携が平成28年に行われ、その時の記念樹です。
再現された姥堂。
姥堂を抜けるとコンクリート製の裁断橋が再現されています。
再現された裁断橋の下を流れる五条川は、南に向かうと岩倉城跡、清洲城跡へ向かい、北へ行くと犬山市に向かいます。
私の感想
私の感想ですが桂林寺と堀尾跡公園は、同じ大口町内にある堀尾吉晴生誕地の堀尾屋敷跡(御供所城:ごくしょじょう)と3つセットで巡るのがオススメです。なぜかというと3つとも近くにあり、所要時間も3つで1時間ほどで巡る事ができるからです。
堀尾吉晴といえば、松江城がある島根県松江市では銅像が建つほど有名人ですが、愛知県ではマイナーな武将、戦国大名に入ると思います。これら大口町の史跡で堀尾吉晴の知名度も上がると良いですね。