名古屋市中区堀川沿の納屋橋ゆめ広場に福島正則の銅像が建つ理由とは

名古屋の名所・納屋橋(なやばし)近くに納屋橋ゆめ広場という、小さなスペースがありますが、ここに戦国武将・福島正則の銅像が建っています。

■福島正則銅像の場所の住所■

名古屋市中区栄1丁目1

>>福島正則銅像の地図

福島正則について簡単に説明すると、この人は愛知県あま市の出身で、豊臣秀吉の家臣だった武将。非常に戦が強く、関ヶ原合戦後に安芸広島・49万石の大名にまで出世しました。その後は台風で壊れた居城の修理を、幕府に届けずに勝手に行ったという罪で(実は届けたが幕府が聞いてないというフリをしたとも)大きく領地を削られて長野県の片隅に領地替えとなり、寛永元年(1624)に64歳で亡くなっています。

その福島正則の銅像がなぜ名古屋の街中にあるの?という疑問ですが、実はあまり知られていない理由があるのです。

福島正則の銅像が建っている場所の隣は、名古屋市でも有名な堀川が流れています。この堀川を掘ったのが福島正則なんです。まず名古屋の街中を流れる堀川は、徳川家康が慶長十五年(1610)に名古屋城を築く時、福島正則に命じて掘らせた川で、名古屋城の外堀の役割だった川なのです。

でもそれは合戦が起きた時の話。平和な時は、名古屋城や城下町に物資を運ぶ船が通った川、つまり当時の名古屋の経済発展を担った水運の川なんですね。その後、名古屋は現在に至るまで都市として発展し続けているワケですから、堀川を掘った福島正則は名古屋の発展の礎となった人物だと言っても過言ではない人なのです。まあ、本人も徳川家康に命じられて掘った訳で、自ら掘りたくて堀ったのではないと思いますけどね…

歴史に詳しい人の福島正則のイメージといえば、戦に強いだけで短気で怒りっぽいというのが定番かもしれませんが、土木工事や治水事業でも功績を残した武将でもあるんです。また人情家だった様で、正則が情に厚い人物だった事が分かる逸話もいくつか残されています。こうして見ると、戦国武将・福島正則は、生誕地である愛知県あま市や、関ヶ原合戦後に居城があった広島県だけではなく、名古屋市にもゆかりがある武将だったという事ですね。

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