名古屋市西区に佐々成政の居城跡・比良(ひら)城跡と、織田信長の大蛇探しのエピソードが残っています。信長公記によると、尾張の中央清洲から五十町(約5・5km)東に佐々成政の比良城があり、さらに東に南北に長い大きな堤があり、その西に、あまが池という大蛇がいるといわれていた池がありました。
ある雨の日の事。
村人が堤を通りかかった時、太さが一抱えくらい大きな大蛇を発見しました。鹿みたいな顔つきで、目は星の様に光り輝き、真っ赤な舌を出しており、恐ろしくなった村人は、もと来た道に逃げ帰りました。この大蛇の話はあっという間に広まり、ついには信長の耳にも入ります。
そこで信長は大蛇を見たという村人から事情を聞き、大蛇を探すといって、比良の郷、大野木村、高田五郷、安食村、味鋺(あじま)村の農民たちに、水替え桶や鍬、そして鍬を持って集まる様に命じました。
大蛇探し開始!
当日、数百の桶を立て並べ、一斉にあまが池の水をかき出し、二時(約4時間)ほど経つと、池の水は7割りくらいになり、そこで信長は脇差を口にくわえ、しばらく池の中を捜索しましたが、大蛇らしきものはいません。
今度は鵜左衛門という泳ぎ上手の者に探させましたが、それでも大蛇は見つからず、信長は清洲城へ帰りました。
信長暗殺計画
ところでこの頃、佐々成政は信長に逆心を抱いているのではないか?という噂があり、成政は信長から怪しまれているのではないかと気にしていました。そんな信長が比良城近くのあまが池に大蛇探しに来る訳ですから、もしかすると帰りに比良城に立ち寄り、信長から成敗されるかもしれないと心配になりました。
すると佐々家の長老・井口太郎左衛門が逆に信長を討ち果たしましょうと提案します。太郎左衛門は信長が比良城へ訪ねてきた時、城内を案内するといって、暗殺する計画を綿密に練り、信長を待ち構えていましたが、大蛇探しの後に信長は比良城には立ち寄らず、暗殺計画も無くなったのでした。
これがあまが池
物語の舞台になった大蛇探しのあまが池は、蛇池(じゃいけ)神社となり現在でも残っています。場所は名古屋市西区比良1丁目です。池の前に大きなお堂があり、名古屋市教育委員会の看板が建っています。
佐々成政の比良城跡
蛇池神社から北へ約650m程の場所に光通寺というお寺がありますが、ここがかつての比良城跡です。名古屋市教育委員会によると、比良城は天文年間(1532~1555)頃に成政の父・成宗が築城しました。
城の規模は東西約68m、南北約72mで二重の堀で守りを固めていました。成政は信長の家臣として各地を転戦し、柴田勝家と共に北陸地方に侵出、越前(現在の福井県)小丸城主となり、後に富山城主になりました。比良城は天正三年(1575)頃に廃城となった様です。
現在では城の遺構らしきものは残っていませんが、光通寺の墓地に佐々成政城址と刻まれた石碑が建っています。
感想
私の蛇池神社と比良城址の感想ですが、成政の意外なエピソードに驚きましたね。なぜかというと、佐々成政といえば信長直属の使番である黒母衣衆の筆頭にあげられるくらいのエリートでもあり、信長に忠実だったというイメ―ジがありました。
それがまさか謀反を疑われ、なおかつ信長を討とうとしていた計画があったとは、歴史には意外な一面があるのですね。蛇池神社も比良城址(光通寺)も城北線・比良駅から歩いて行ける範囲です。周辺は平地なので、ハイキング気分で訪れてみるのも良いですね。